【連載】神足裕司 車椅子からのVRコラム コータリさんの2017まとめ!
はじめてVRと出会って2年ぐらいがたつ。我が家に本格的導入となったのは、スマホで撮った360度映像を旅先から送ってもらった映像。病室でみた去年の夏だ。いま思えば、子供だましのようなVR映像だったかもしれないが、ボクは本当に感動した。娘がいまいるロスの風景を一緒に見ていられるのだから。ベッドの上で無限の可能性を感じた。娘が歩けばボクも歩いているような気さえした。どこでも行けるような気がした。大げさではない。病気で弱った心がふっとかるくなった。「まだまだ世の中で見たいものがあるから頑張らなくては」と、思った。
そして今年はPANORAで原稿を書かせてもらって、いろいろなVRを体験させてもらった。
いつのまにかVRがこんなに色々なところに浸透してきたんだなと未来を感じた。実際のところ「VR体験できます」というところで簡単なVRを見て心を動かすまでは……というものもあった。その映像をみて「ああ、VRなんてまだまだ」そう思う知人もいたけれど、「実際はかなりの技術がもうあるんだぞ」といいたかった。技術があってもエンターテーメント性がいまひとつだったりストーリーがいまひとつだったりして残念なものもあるけれど、それはVRの可能性を否定的に捉えるものではない。
それがうまく合致していたのが「VR ZONE SHINJUKU」というところだ。「これは本気だ」と感じた。どこも本気でなく始める人はいないだろうがまさしく「総力を挙げて」と、そう感じた。映像もストーリーもリアルなのだ。ゴーグルをとったときに「ビルの中だったんだ」そう逆に思ってしまう。いまさっきまで湖畔で釣りをしていたのに。「映像を開発するのに長い間ルアーフッシングに通った」といっていた担当開発者の言葉も頷ける。
街の中でも至るところで「VR」の文字を発見するようになった。不動産屋さんで内覧にいかなくてもVRで部屋の様子が見られるという。これのよいところは、そのときが夜でも昼の様子が、3年後に隣にビルが建ったとしたらこうなる、なんていうことだって実際のように見られることだ。
ゲーム業界だって本当にそのアニメのなかに自分がいるような気持ちになって対戦できたり、隣にいる仲間とだって一緒に走る事だって可能になった。アダルトもしかり。「VR PARK TOKYO」では映画の主人公と一緒にライフルで戦ったりもした。映画だってVR版なんていうのもでてくるだろう。
ボクの場合、7年前に急に動けない身体になった。諦めたこともたくさんある。自由に動くことができなくなったいま、ボクはVRへの期待は大なのだ。そう、どこかにいかなくても現実がそこまできてくれる。それどころか、実際にはいけないところにだっていくことができるのだ。元気だったらもっと色々なところにいけただろうに、そう思っていたところに連れて行ってくれるかもしれない。旅や、取材しなくてはいけないものたち。そこにも連れて行ってくれることを期待している。
●著者紹介
撮影:石川正勝
神足裕司(こうたりゆうじ)
1957年、広島県出身。黒縁メガネ・蝶ネクタイがトレードマークのコラムニスト。「金魂巻(キンコンカン)」をはじめ、西原理恵子との共著「恨ミシュラン」などベストセラー多数。2011年にクモ膜下出血発症。1年の入院生活を送る。半身マヒと高次脳機能障害が残り、要介護5となったが退院後、執筆活動を再開。朝日新聞をはじめ連載も多数。最新刊は「一度、死んでみましたが」「父と息子の大闘病記」などがある。
●関連リンク
・朝日新聞デジタル 連載 コータリンは要介護5
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