【連載】神足裕司 車椅子からのVRコラム「60歳の地図」
6年前にくも膜下出血で倒れた人気コラムニストの神足裕司さん。闘病中の氏が車椅子の上から隔週でお送りしているVRコラム第7弾です!
還暦だ。それを祝って仲間たちが「還暦だョ! コータリさん〜猛暑を乗り切る60歳の知恵袋〜」というトークイベントを催してくれた。喋れないボクがトークイベントをするなんてだいそれたことだが、仲間のお陰で実現している。もう3回目だ。
主催者はラジオ番組をやっていたときのディレクターの阿部ちゃんと(今はもっとえらくなっている)コラムニストのえのきどいちろうさんと、元アスキーの総編集長の福岡さんだ。3人ともボクとのつながりは長い。病気になって仕事もできないボクを励ますために企画してくれた。(に違いない)3人とも無報酬。本当に忙しい第一線で働いているお三方が時間を作ってくれてイベントは成り立っている。病気前は仕事仲間としてはコンスタントに会っていた。ラジオもアスキーも週一の仕事だったから。信頼していたし尊敬もしていた。えのきどさんは、同じフリーという立場で「病気になれば次の日から収入は無くなる」そういって立ち上がってくれた。そんなことができる人って世の中でそういない。心では思っていても立ち上がって助けてくれるってことはめったにないことだ。
今回のイベントは60年を振り返り、その年代の仕事をクローズアップした。10代は中学から高校、予備校、大学、そして同業者の柳谷さんがボクについて語った。優等生で生徒会長だった柳谷とは正反対のボクだったが柳谷に見込まれて大学のミニコミ誌に文章を書いたのがこの世界に入るきっかけだった。
20代は、えのきどさんやボクが色々な場所で原稿を書かせてもらい青春を謳歌していた。30代は恨ミシュランがベストセラーになり、24時間酔っ払っていた話を西原理恵子が話しに来てくれた。
40代はラジオ番組やテレビを何本もやっていた。地元中国放送の当時の映像が映し出された。コラムニストの小田嶋さんはボクの文体の話しをしてくれた。その話しに勇気付けられた。
53歳で病気になるまでこんなにたくさんの人と一緒に仕事をしていたのか、そう思うほど色々な場面が壇上でくりひろげられた。最後になってしまったが、PANORAさんは会場でVRデモンストレーションをしてくれた。ボクの体験したちょっと大人なVRを持ってきてくれて皆さんにみてもらった。このおまけは好評だった。こういうイベントにもってこいだと思う。
ボクは皆に支えられてやっと生きていけているけれど、近い将来恩返しができる何かをやっていけるまで頑張るつもりだ。車椅子でも障害を持っていてもそんな人たちに役に立つようなVRソフト提案できたらいいんだけど。VRいっぱい体験して研究しなければ。
●著者紹介
神足裕司(こうたりゆうじ)
1957年、広島県出身。黒縁メガネ・蝶ネクタイがトレードマークのコラムニスト。「金魂巻(キンコンカン)」をはじめ、西原理恵子との共著「恨ミシュラン」などベストセラー多数。2011年にクモ膜下出血発症。1年の入院生活を送る。半身マヒと高次脳機能障害が残り、要介護5となったが退院後、執筆活動を再開。朝日新聞をはじめ連載も多数。最新刊は「一度、死んでみましたが」「父と息子の大闘病記」などがある。
●関連リンク
・VR PARK TOKYO
・朝日新聞デジタル 連載 コータリンは要介護5
・神足裕司Twitter
・還暦だョ!コータリさん~猛暑を乗り切る60歳の知恵袋