連載「Pop Up Virtual Music」では「Ex」と題して、VTuberと近しいカルチャーについて触れることとしている。
前回・前々回ではアイドルとの関係について、その認知と受容を取り上げた。そのなかでも触れたが、VTuberはアニメ・アニメカルチャー・アニメ受容とも深くつながり合っている。
そのため今回は、「いうまでもない」と思われている共通項的な側面から、あまり気づかれにくい部分まで押さえながら、その繋がり・影響、そしてこれからについても書いていこうとおもう。
アニメルックという共通言語
「存在はしているが、存在していない」その距離感
VTuberとアニメ、その繋がりはひと目で見て分かる。
現在活動しているVTuber、それどころかもっと根本的に我々がVRChatなどを使って「バーチャル化」しようとする際に、日本人・日本語圏のカルチャーではほぼ間違いなく”アニメルック”なヴィジュアルやアバターへと変幻させられる。
「それは漫画作品として見ても同じでは?」と疑問を投げかける人もいるだろうが、漫画作品の影響だけでは片付けられないだろう。
アニメには、何千・何万とも言える色彩設定、さまざまなガジェットや衣装を用いたセンスある小物、なにより2D化のみならず3D化する点で漫画よりも色彩豊かなアニメーションからの影響がより強い。
アニメ作品に目を向ければ、そういった外見に作者やストーリーテラーが決めるエッジある性格・人格が加わる。ここに、俗に”アニメ声”とも形容されるような特徴的な声色やたくみな演技力が加われば、アニメキャラクターとしての輪郭がよりクッキリと浮かび上がってくるのだ。
こういった魅力は漫画では生み出せない部分であり、原作の有無にかかわらず、そうして演じられるアニメキャラクターに日本人はヤラれ続けてきた。
1963年にアニメ『鉄腕アトム』が放映された頃から数えて約60年以上、さまざまなアニメキャラクターが登場し、多くのひとたちに愛されてきた。ドラえもん、アンパンマン、サザエさん、孫悟空、モンキー・D・ルフィ、江戸川コナン、しんちゃんにルパン。さまざまなビジュアルやルックを持ったアニメキャラが思い浮かぶ。
さて、いちどここで当たり前の話をしよう。
アニメ作品は現実において作品としてしっかりと存在しているし、キャラクターたちも存在している。ただし、作品が描いている世界そのものがこの現実において展開されることは決してないし、描かれている登場人物たちに出会って話すことや、彼らの匂いをかぐことはできない。
“存在している”というのが二重に(いや二手に分かれて)、同時に立脚している。「存在はしているが、存在していない」などと軽くまとめてしまえばカッコいいだろうが、レトリックによって理解しづらくなる前にハッキリと述べよう。
アニメ作品は「作品として」現実に存在はするが、「世界として」現実に存在はしない。これは生きていれば誰しもが気づくことだ。
変身したい、転生したい、あの子に会いたい 願望が未来へとつながる
アニメ作品が描く世界観やキャラクターへの憧れは、いくつかの願望を招き入れた。よくいわれるのが、変身願望と転生願望である。どちらの願望も、中世ヨーロッパよりはるか以前、古代から見られる傾向ではある。変身願望は異性装として、転生願望はいわゆる「輪廻」「生まれ変わり」などの思想・宗教解釈としてあらわれている。
これらは日本のアニメ作品・カルチャー・受容において、さまざまな形で表出することになる。
たとえば、コスプレ。これに関しては深く掘り下げるまでもなく、枚挙にいとまがないだろう。先に挙げた異性装や仮装という意味合いまで含めれば、さまざまなビジュアルになろうとする営みでもある。
アニメシーンに限って言えば、装いだけではなく、髪型、爪、瞳の色や小物に至るまで準備し、しっかりと着替えて楽しむ。こうした連載にかこつけて書こうとすると、大人の方々の大真面目なコスプレを思い出しそうだが、幼い男子・女子がなりきりセットを買ってもらって気軽に楽しむこともある。
コスプレというイメージだけでなく、仮装をして楽しむというところまで視野を広げれば、アニメ作品のキャラクターだけでなく、ヨーロピアンなお姫様・王子様の姿、あるいはカエルやライオンなどの動物まで、さまざまである。意外なほどに、この日本では「変身したい」という願いが根付いていることに気づけるはずだ。
次に挙げるとすれば、作品性そのものへの影響になる。
日本のアニメシーンでは1980年代や90年代ごろはあまり見られなかったが、2010年代に異世界転生・転移・召喚系作品が小説投稿サイト「小説家になろう」に数多く投稿され、それぞれ書籍化・コミカライズ・アニメ化される作品が増えたため、目に見えて分かる方も多いだろう。
異世界へどのように移るのかという点で細分化が進み、転生・転移・召喚と分けられているが、主人公であるメインキャラクターが本来住んでいた世界とはまったく別種の異世界へと飛ばされ、そこでさまざまな生活を送るというのが共通するメインストーリーになっている。
最後に挙げるべきは、キャラクターへの愛情だ。これは前回のアイドルとVTuber前編・後編でも触れた、疑似恋愛の対象としての話という意味合いも含まれる。
「この人の彼氏・彼女・旦那・嫁になったら?」というifを想像する。すこし尖ったことを書けば、「もしもこのキャラが〇〇したら?」と妄想を走らせてみる。その行く先に二次創作があることは、この話を読んでいる読者なら容易にわかってもらえるはずだ。
淡々と文章を書いている筆者にも、かつての言葉で言えば”嫁”ないしは”萌え”ともいえる存在がいた。このキャラとなら結婚したい、このキャラに殺されたらどうなってしまうんだろう、そんな想像を巡らせるキャラクターがいた。こういった想像は、主に「その世界に転移したら」、もしくは「そのキャラが私たちの世界にいたら」ということを同時に想像し、妄想のベースに置いている。
ありえないことだ。だが、ありえないからこそ面白がれるのである。
キズナアイの原動力は「名前を呼ばれたい」だった
VTuberの興りを思い巡らせるとき、こういった変身願望や転生願望、そのベースにあるキャラクターへの愛情を無視できない。Activ8創業メンバーで、キズナアイのクリエイティブ周りのプロデューサーとして活動していた松田純治氏のインタビューを、すこし端折りつつ引用しよう。
――松田さんにとって、AIであるキズナアイの誕生はどんな意味を持っていましたか?
松田 一つの夢が叶った、と思いました。「2次元の存在に名前を呼んでもらえる」と。
――名前を呼ばれる?
松田 少し裏話をさせてください。もともと私は鍵っ子(ノベルゲーム制作グループ「Key」作品のファン)でした。『CLANNAD』や『AIR』といった恋愛アドベンチャーゲームにハマって、人間の女性に恋するのと同じように、そこにいる女の子――画面の向こうにいる「あの子」に恋をしていたんです。
でも、あの子と私の間に大きな距離を感じていました。なぜなら、物語上のキャラクターとは直接コミュニケーションが取れません。その象徴が名前でした。私は彼女たちに、自分の名前を呼んでほしかった。もし彼女に自分の名前を呼ばれたら、「認知された!」という感情が湧くじゃないですか。もしそうなったら本当に嬉しいだろうし、キャラクターと自分の繋がりをより強く感じられるだろうな、と。
でも、画面の向こうのあの子は私の名前を呼んでくれなかった。当然ですよね。物語の中のキャラクターはスクリプトに書かれていない私の名前を呼ぶことはできない。彼女らは私たちとは違う世界に住んでいるんです。でも、もし彼女たち2次元の世界のキャラクターが、私やあなたの名前を呼んでくれたら……私はいつか、そんな存在に出会えることを願っていました。
――2次元じゃなければいけないんですか? 例えば「会いに行けるアイドル」みたいに、現実のアイドルに名前を呼ばれるのもとても嬉しいんじゃないでしょうか?
松田 たしかに、現実のアイドルは名前を呼んでくれて、認知してくれます。でも、2次元のキャラクターに名前を呼ばれるということにこだわっていました。最初から現実に普通に生きている者以外の存在がこちらに呼びかけてくれる……そこに尊さのようなものを感じていたんです。
そんな中、YouTuberの活動を見ていて、ふと思いついたんです。「もし2次元のキャラクターがYouTuberになったらすごく面白いんじゃないか?」と。そんな存在なら、名前を呼んでもらう喜びをみんなに感じてもらえるかもしれない。現実のアイドルが名前を呼んでくれることも嬉しいけど、画面の向こうからこちらに声をかけてくれるという私の夢が本当に現実になるかもしれない。
だから、キズナアイに出会ったとき、僕は夢を一つ叶えました。キズナアイは自分の名前を呼んでくれる初めてのバーチャルな存在だったんです。
出典:「キズナアイは“インターネットの神“になるハズだった 元Activ8創業メンバーが語る」
https://premium.kai-you.net/article/552
VTuber・キズナアイを生み出す原動力となったのは、キャラクターや異世界への愛情だった。「作品として」現実に存在はするが「世界として」現実に存在はしない……そんなキャラクターに向けられた一方的な眼差しだった。
その愛情が共振した結果、浮かび上がるさまざまな願望をいくつも引き連れ、アニメにまつわる関連カルチャーを受け継ぐVTuberカルチャーへとつながっていった。
その営みは、執着や拘泥といっていいのかもしれない。もちろん、キズナアイにはボーカロイドからの影響も無視できない。こちらも今後この連載のなかで触れていきたいところだ。
アニメの先にVTuberはあったのか ?
ここまでのなかでキャラクターという言葉が大きくフォーカスされてきたが、冒頭にも書いたように、”アニメルック”なヴィジュアル/ルックスがVTuberとアニメとの大きな繋がりであり、変身や転生などの願望を引き連れながら、その願望が形づくられていった。
アニメの先にVTuberがあった。VTuberは異世界の住人であり、我々のまったく知らない価値観とともに新鮮な驚きを届けてくれる稀有な存在となった――となれば、どれほどよかっただろう。
実際にはそうなっていない。
2026年現在VTuberとは、アニメルックなビジュアルをLive2Dや3Dアバターの技術を使って表現し、ネット配信者(ストリーマーともいう)やシンガーが活動していく職業的なロールを果たしている。
俗っぽく言えば、アニメルックなビジュアルを公式にしたシンガーやストリーマーという活動者、といえばいいだろう。創作性の強いプロフィールに準拠し、その世界観をアピールする、そのようなVTuberやバーチャルシンガーは少なくなった。
ここで1つ誤読を解いておきたい。「バーチャル(Virtual)」という言葉を日本語に訳すとき、「仮想」と訳されることが多い。仮想とは、実際にはない事物を仮にあるものとして考えることで、架空や想定に近い意味である。
だがVirtualの本来の意味は別である。「実質上の」「事実上の」といった意味に訳されることが多い。PANORAなどで扱う仮想現実、またはIT分野で使われる仮想は、こちらの意味で使われている。
「バーチャル(Virtual)」と「仮想」。似ているようで、実際にはすこし異なる意味やニュアンスになっていることがわかるだろうか。前者は「この世界に実際にあるもの」に立脚した意味である一方、後者は「想像上」「架空の」というような意味に読める。
つまり、VTuberという言葉を読もうとするとき、「架空の存在」というようにも、「実際にあるものの延長線上の存在」というようにも読める。似ているようで、確かに違う。しかも実際の生活において、この2つの意味合いは事もなげにその意味を発揮し、我々は無意識に別々に読解しているのだ。
これによって、アニメ作品とVTuberの不思議なパラレルを指摘することができる。
アニメ作品は「作品として」現実に存在はするが、「世界として」現実に存在はしないと筆者は先に書いたが、この説明しづらさ・伝えづらさ・解釈の違いがそのまま繋がっているのだ。
アニメ作品が「作品として」現実に存在はするが「世界として」現実に存在はしないように、VTuberは「人物として」確かに現実に存在しているが、「世界観を伴ったキャラクターとして」現実に存在することは非常に難しい、という意味に捉えられる。
こういった解釈上のねじれを引きずり、およびVTuberの登場から約10年、だいぶ時間が経過したことで何が起こったか。VTuberやバーチャルシンガーとはつまり、シンガー、ストリーマー、YouTuberのような活動を志す人が、アニメルックなビジュアルをLive2Dや3Dアバターの技術を使って作り出し、そのビジュアルをオフィシャルなルックスとして活動する。そのような認識が広まっていくことになった。
カッコよく言い回せば、2026年のVTuberは、架空の存在としてではなく、実際にあるものの延長線上の存在としてのバーチャルを選んだといえばいいだろうか。いま現在のVTuberが好きな人には理解してもらえるだろうし、現在のシーンを一望すればこの認識は大きな間違いはないだろう。
アニメへの憧れが育んだ変身願望・転生願望、そしてキャラクターへの愛情。その期待やイメージ、妄想や願望を引き受けたVTuberは、異世界の住人としてではなく、現実と地続きの「Virtual」な存在として実質的な歩みを進めてたのだった。
では、そんなVTuberとアニメは、2026年の現在、どのような接点で結びついているのだろうか。後編では、主題歌や声優、そして作品のなかに描かれるVTuberの姿を、具体例とともに見ていきたい。
(TEXT by 草野虹)
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