HIMEHINAライブ演出・Gohgoインタビュー(前編) 「実は超パのボカロライブ、つくっていました」

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HIMEHINAといえば、ワールドツアー「HIMEHINA WORLD Tour 2026『LIFETIME is BUBBLIN』」のグランドファイナル公演を終えた2人組バーチャルアーティスト。2027年7月13日に日本武道館にてライブを実施することを発表して今、勢いづいているが、その彼女たちを支えるチーム「Studio LaRa」で、作詞・作曲とライブの総演出を担当しているのがGohgo(ゴゴ)氏になる。

今回、PANORAでもライブを取材してレポートを執筆中なのだが、そのタイミングで「緊急にお話ししたいことがあります」とGohgo氏に呼び出された。一体何事かとオンラインミーティングに参加すると、本当に衝撃的な事実が明らかになった。

2時間にわたるインタビューで、HIMEHINAのライブ制作秘話、ボカロやVTuberとそのライブの関係性などについて語り尽くして非常に長くなったため、前後編でお届けしたい。前編だけでも長いですが、ネットの文化的にみてとても価値がある内容になります。


今回でGohgoとしてのライブ演出を引退しようと思った

──重大な話をしたいとのことで、今回緊急でインタビューの場を設けさせていただきました。

Gohgo 10月4日のグランドファイナルは無料配信したこともあって、多くの人に見ていただけたのですが、ネットの感想を見ていると、「ヒビカセ」のガラスを割る演出が、2015年に行われた「ニコニコ超パーティー」(ニコニコ動画の年次的ライブイベント、超パ)で見た演出に似ているという指摘を見かけました。また、HIMEHINAのライブを見ているとあのボカロライブを見ているようだ、と。

2026年10月4日開催 HIMEHINA WORLD Tour 2026「LIFETIME is BUBBLIN」 -GRAND FINALE- Day2

 
──ワールドツアーの最初である横浜でも言われていましたね。

Gohgo 実はその超パの演出って自分なんです。

 
──!?!?!?!?!?

Gohgo ボカロライブを含めて、2012年から2016年まで超パの演出を担当していて、あのバシャーンってガラスを割って出てくる流れは自分が当時のMMDer*1チームと一緒につくったんです。そして「ODDS&ENDS」などをパフォーマンスした2016年は、HIMEHINAのクリエイティブディレクターでLaRaの代表を務めている夏虫氏が右腕として演出をつくっていた。自分の怒涛のつなぎをバンドで成立させていただいてる音楽ディレクターの大山徹也さんも当時から今に至るまでずっと一緒に制作しているメンバーです。だからHIMEHINAのライブは、当時のボカロライブから引き継がれているものが多くあるんです。黙っててすいませんということを伝えるために、インタビューをお願いしました(笑)

*1 初音ミクをはじめとするキャラクターを踊らせるためにつくられた3Dアニメーションソフト「MikuMikuDance」のクリエイターのこと

 
──超パというと、300人とか500人とかが出演して、合計で8時間とか10時間とかの上演時間になるバカ過酷なライブじゃないですか! だからHIMEHINAのライブも40演目・3時間超で、Studio LaRaもクリエイティブ根性論みたいな話になるのか……。とはいえ、なぜいきなり10年以上前のライブ演出を、今のHIMEHINAで再度やろうと思ったんですか?

Gohgo 今回、アルバムづくりを本当に精魂尽き果てるまでやって、Gohgoとしてフルサイズのライブを完全に演出するのを最後にしようと思っていたんです。まぁなんかあの、「終わる終わる詐欺」っぽい感じもしますが(笑)。最後にするつもりでやっていて、その中に自分の人生でやってきたエッセンスを集大成的に詰め込みたいなと思ったんです。何より、ボカロから始まり、VTuberへと分岐してきたバーチャルキャラクターライブのコンテクストをつなげたかった。

 
──だから「ヒビカセ」という。

Gohgo 今回のライブでカバー曲パートは最初が「ECHO」でしたが、それもふざけて投稿したヒメの最初の「歌って踊ってみた」が起点になっています。

そこから「ヒビカセ」に突入し、画面の向こうの存在だった初音ミクが、ガラスプレートを割って奥から実在として出てきてくれるという演出を、今度は「魂」を持った画面の向こうの存在であるHIMEHINAでやってもらおうと思ったんです。画面を割って出てきた「Something, Not Human.」がゴーストバスターズに扮したCAROLSによって「現実へ戻れ!」とHIMEHINAを吸い込み、元通りの等身で登場しオンステージライブへと戻る。

まるで不死身のような存在を表した「UNDEAD」、それはまるで神様的な存在ようだと歌う「神っぽいな」でVTuberの特性に触れて、続けて「神様、僕は気づいてしまった」の「CQCQ」、あの神っぽい存在が人間と同じ目線に降りて、「神様……」と祈る側になったというバーチャルキャラクターと人間の往来を一連の流れとして汲んでいたりします。

 
──濃密すぎる話で脳が追いつきません!

Gohgo だからその幕開けとして画面ブレイクをやるのが相応しいなと思って、今回採用したんです。


「ライブを体験して涙が流れるかどうか」が一つの軸

──今の話もそうですが、HIMEHINAのライブは毎回、クリエイティブに対してお金や手間のかけ方、思想の深さがすごいなと感じます。特に目まぐるしく変わる映像演出は、先ほどのクリエイティブ根性論じゃないですがクリエイターの魂をすりつぶしてつくっている印象です。

Gohgo お金に関して言えば、もちろんアーティストがライブをするのに必要なベーシックなキャッシュはかかっているのですが、「お金かかってそう!」と言われるような作り方を実はしていなかったりします。

 
──えっ、40演目3時間超でさすがにかかってないわけがないと思われますが……。

Gohgo 理由はほぼ完全にStudio LaRaの内製制作の演出だからです。今回のライブで外注しているところって一部の歌詞のモーションタイポぐらいで、他は全部LaRaで手掛けている。自分が音源ですべての構成をDAWで制作し、すべての演出をVコンに起こして、LaRaメンバーが舞台やライブに必要なすべてを情熱をかけて完璧なものに仕上げてくれるという作り方なので、このライブのために莫大な発注費を用意しているわけではないのです。そういった意味では、普通のVTuber事務所とはちょっと違う作り方かもしれません。

 
──アーティストだけでなく、クリエイターを抱えるというのは会社の経営では結構負担になると思います。

Gohgo 自分やクリエイティブディレクターの夏虫氏のこだわりが強くて、たとえ外注であっても最終的なアウトプットが少しでも違えば絶対に妥協できない。クリエイティブ至上主義じゃないですが、それを考えていくと付き合ってくれる外注がいないんです。いっそHIMEHINAが好きで、情熱を持って最後まで付き合ってくれる社員が集まってやったほうが、やりがいもクオリティーも担保できる。人件費が固定されるのは会社的にはリスキーなのかもしれません、クオリティーにこだわるという点で内製化したことで、結果的にかかる経費を節約できているのだと思います。自分はLaRa社員じゃないのでわかりませんが(笑)

 
──Studio LaRaの様々な人の人生が注ぎ込まれた結果の熱狂だという。今回のライブ会場のサイズ感もよくて、レーザーや照明などの演出がぎゅっと詰まっている印象でした。

Gohgo 会場の話でいくと、今回のSGCホール有明、永遠にここでやってたいぐらいすごくいい箱だなと思っています。箱のサイズと熱量って結構反比例する印象があって空間や天井が広くなっていくことで密度も希釈されていくと思っているんです。一方で地下アイドルの現場のようにステージと客席が近いライブハウスなどは、会場全体に熱気が異常なぐらい詰まっていますよね。キャパ4000、5000の箱というと、大体奥に縦長になっていることが多いのですが、そうなると熱量が薄くなりがちなんです。そこがSGCは奥行きではなく縦方向に2階席、3階席と積み上がっていく方式なので、密度が濃いままでした。それに音もよかった。

 
──確かに。

Gohgo 大きな箱に行くメリットも色々あるし、カメラ的にもスケール感がある絵面が撮れるわけですが、立方体の中に含まれてる一人一人の情熱の密度みたいなものは希釈されていってしまうのが悩ましいですよね。

 
──密度といえば照明、特に12台用意したレーザーがすごくて、あんなミルフィーユみたいに空間が光で埋まるんだって驚きました。

Gohgo ヘッドマウントディスプレーでコンテンツを体験したときの視覚の密度みたいな、そういう状態を会場でもつくりたくて、レーザーひとつにしても、「いや、これじゃあ埋まり方が足りないからやっぱ倍だよね」みたいな。せっかくお金払って来てもらうっていう意味では、非日常に来て没入してほしいという思いはあります。

 
──密度といえばファン側もそうで、こんなに全部の客席から声が出て、音の圧を受けるライブってあるんだと。毎回驚かされますが、今回は輪をかけてすごかった。

Gohgo 自分も今回びっくりしました、本当に。あんな合唱が最初から最後まで続くなんて。

 
──コロナ禍の無観客ライブを経て、みんなの声が聞きたいというストーリーが生まれ、その延長線上にみんな大合唱するという今のスタイルがある。特にあのコロナ禍の悲しみを知っている人なら、声を出さないわけがない。

Gohgo 想いが積み重なってHIMEHINAライブの文化になっている気がします。

 
──盛り上がる一方で、「遺言」「生と詩」「I Love You」など、歌詞に込められた想いを感情を込めて歌い上げる曲たちで、「このライブ、何回泣かせるんだ」とも思わされました。

Gohgo 運営チームも後ろで泣いてますからね。

 
──それは全力が込められているわけですから、泣かない方が嘘ですね。自分たちの時代を反映して、自分たちの気持ちをわかってくれる。生身かバーチャルかも関係なく、きちんとアーティストとしてライブをやってくれているのが素晴らしいなと思います。

Gohgo ライブの構成は「ここは声出してほしいよね」とか、「ここコールポイントにしたいよね」といった感じで、HIMEHINAと打ち合わせをして決めています。「ここはもうお客さんにいっそ委ねて歌ってもらおうよ」「テンポずれるんじゃない?」「いや歌ってくれるはず!」みたいな。こうしたライブ演出の話は、先に話した自分のルーツにも関係してくるんです。

超パの当時から変わってない軸があって、それはライブを体験して涙が流れるかどうか。涙が流れるって、人間の生理現象としては異常事態じゃないですか。喜怒哀楽で怒ったり笑ったりっていうのは、主に表情筋の現象ですけど、なんか生理的に水分が出ちゃうって、ちょっと異常現象だと思うんです。だから感情が動かされてそこまでいったら、仕掛ける演出家としてはひとつ達成したなというのが昔からあって。

超パの時代でも、「桜ノ雨」をみんなで歌う大団円があったり、ボカロライブでもラストに「さよならメモリーズ」や「ODDS&ENDS」をやったりで、最後は感動のカタルシスに到達したいという気持ちがありました。それが今に至るまでの軸になってて、お客さんの感情を動かすにはどうすればいいかというのが、HIMEHINAを含めて演出で一番突き詰めているところだと思います。

 
──今回もバッチリ泣かされましたし、ヘトヘトになるまで大声を出しました……。

Gohgo 確かHIMEHINAの最初のライブ「心を叫べ」のときに話していた気がしますが、とにかく疲れるライブにしたいという。参加してるお客さんが疲れるライブにしたいって最初に決めたんです。ジャンプもするし、声も出さなきゃいけないし、ライトも振らなきゃいけない。とにかく消耗度が激しいライブにしたいという気持ちがありました。全身を使って疲れるのって、人間の体の熱量、エネルギーに変換できるものをどれだけ支払ったかなので、支払ったからには対価として感動や思い出としての価値が返ってくるという、熱力学だとライブは思っていて。

 
──めちゃくちゃ面白い話です。

Gohgo 人間や生物が生きるのも、最近だとAIがトークンを消費するのも、すべてはエネルギーじゃないですか。支払うって資本主義においてはお金で、詐欺とかに遭わない限り、お金を支払ったらそれ相応の対価が得られるっていうのが基本構造ですよね。ライブも、お客さんが自分が疲れるっていう熱量を支払うと、それが自分にフィードバックされて「すごく価値があった」という対価が得られるのではと思っています。毎回疲れるお客さんにはごめんなさい(笑)

 
──初めて聞く考え方ですが、すごく共感します。

Gohgo だからすごい疲れるんだけど、でもそこが最高だよねと、価値があるように思っていただけたら嬉しい。それが第一にあって、結果としてみんなが自然に声を出したくなる。一体感もある。生きている感じがする。そして、それが結果最高のライブだねって思ってもらえるようにする、というのは最初に目指そうと決めてたことかもしれないです。


きちんとリベンジしてから武道館に行こう、と

──そんな考えに至るGohgoさんにおけるライブの原体験ってどんなものだったんですか?

Gohgo 自分の原体験といえば、小学生の時に合唱団に入ってたんですよ。

 
──なんと、歌なんですね。

Gohgo 大学のときにはダンスをやってて、その振り付けや演出をやってたこともありましたが、ルーツは歌なんです。今でこそ作詞作曲をやってますが、音楽の経験といえば楽器も経験してないですし、その小学校の合唱ぐらいしかない。みんなで歌を歌って、舞台上で今まで頑張ってきた成果を発揮して、袖に戻ったら頑張ったねって言い合って泣くみたいな。ダンスをやってたときも、卒業に向けての舞台とかあるじゃないですか。それも必死になって頑張って、一番いいものを作るぞって披露して、袖にはけたら泣くみたいな。多分、ライブの原体験的にはそこで、だからある意味、自分の原風景につき合っていただいているところはあるかもしれないです。

 
──やってることは今と同じですが、スケールが全然違います(笑)

Gohgo いや、それは本当運がいいなとは思っていて。そういうエモーショナルな舞台を目指すために最も運がよかったのは、HIMEHINAの性格がとにかくいいということですね(笑)。お化粧で例えると、どんなに演出という化粧がうまくても、元の素材自体で結果が変わってきてしまうのと同じです。HIMEHINA自身も、彼女たちのファンである「JOJI」も、その天然素材が信じられないくらい善良なんです。

 
──わかります。VTuberのファン自体が民度がいいほうですが、それに輪をかけてわかってるところがあります。

Gohgo そのHIMEHINAの性格があって、多分、田中工務店*2時代からコミュニティーに対して真摯なメッセージを出してきたところが伝わっているのかな?と思います。荒れた場所で、大合唱だったり、エモ振りな演出のお化粧セットを持ってきても、寒い状態になってしまう。突き詰めると、そんな本人たちの素晴らしさと、彼女たちと一緒に描きたい演出がそこにハマって、ミスマッチがない状態がつくれた。

*22018年発足でHIMEHINAの活動を支えていた有志の創作集団。2022年5月に株式会社LaRa(Studio LaRa)が設立された

 
──しかし、よくよく考えると、LaRaは、アーティストがHIMEHINA1組だけ、しかも内製が中心という、VTuber業界でもだいぶ特殊なポジションですね。

Gohgo 大手の事務所さんに対して、自分らは1IPでスケールを欠いている分、中身の密度でゲリラ戦を仕掛けるしかないというところはありますよね。

 
──ゲリラ戦と言われますが、コロナ禍できちんと「HIMEHINAのライブに行って会いたかった」というファンの気持ちをすくってくれて、それを歌詞やステージ構成に反映してくれたのは、多くの人が悲しみを抱えていた時代のど真ん中の物語で、見事というほかありませんでした。

Gohgo ほかのVTuberさんのステージを拝見すると、うらやましいポイントはたくさんあります。でも結局は、自分たちがやれることをやるしかない。無観客でARコメントを実装したりしましたが、それでも消化しきれなかった想い、それはHIMEHINAもファンも同じで、コロナ禍で実施できなかったパシフィコ横浜でのライブだったり、全国ツアーだったりをそのまま見捨てておけなかった。

HIMEHINA Live 2021 「希織歌と時鐘」from アエナイボクラ【4K Remaster版】

正直、もう少し手前の段階で武道館にトライしようと思えばできたタイミングもあったんじゃないかと思うのですが、これが一つの物語だとしたら、やっぱりリベンジするところはきちんとやった上でゴールに到達しないと気持ち悪いなっていう。中ボス倒す前に、ラスボス倒しちゃったみたいな。大きい目標のためにきちんと苦労を積み重ねた結果、夢がかなう方が頑張り甲斐がありますし、ドラマティックだなと思います。HIMEHINAにはそういうドラマな人生の方が似合うと個人的には思っています。

 
──ファンもすごく離脱率が低いと思います。かといってアイドルのような「ガチ恋」が多いわけでもない。彼女たちが自分の人生に必要な存在だからライブに来てる感じがある。そのバランス感覚が独特です。

Gohgo そういう意味では、ライブに通ってる軸って、基本音楽じゃないですか。その音楽を元にして、ビジュアルを曲ごと起こしてるっていうのがVTuberライブなので、根っこには音楽があって、音楽自体がアイドル性だけのものじゃない、というのはあるかもしれないですね。

 
──ただ、同じ音楽でも、コーレスばかりの電波ソングだったり、ファンに口上を言わせるような曲を用意して、今の人がわかりやすく消費できるライブをつくる……みたいな手法もありますが、絶対にやらないですよね。流行のわかりやすさも価値があるとは思うものの、でもひとつ自分たちのスタイルを貫いているのがスゴい。

Gohgo この間の4thアルバム「Bubblin」でも自分が多くの曲をつくっていて、アルバムの構想を考えるときに2人と話しながらバランスを取るのですが、おおよそライブのことを考えてるんです。アルバムが最初にこう始まってこう終わるという起承転結が、ライブだったらこうだろうなって。そう考えると、やっぱりロック曲もダンスポップも必要だし、でもかっこいい曲も、さわやかな曲もいるよね、とトラックリストが組まれていって、実はライブがそのままできている。

自分の中では曲を作るときに、単純にエモーショナルで愛を語るっていう部分だけでなく、本来歌や絵画などが持っていた反体制とか、イデオロギーに対するアンチだったりとか、なんかそういう風刺めいたものも大事にしています。あのアンチテーゼを呈するみたいなものってなくなってしまうと、カルチャー全体が面白くなくなっちゃうと思うんです。今、われわれはアルゴリズムの中に生きてるので。

 
──ものすごく共感します。アルゴリズムで最適化されて、興味を持ちそうなコンテンツしか流れてこない、脳死地獄みたいな今だからこそ、それに抗ってひとつのスタイルを貫く価値もある。

Gohgo マーケットイン型の音楽作りで、共産主義的な中身で、みんなが右を向け右。そうじゃない反集団的な思いも多分、誰もが心の奥底に持っているんだけど、ネットで大声でいうと害と見なされてしまう。でもVTuberの世界においても誰かがきちんということは必要だと思っていて、だから時々「V」のようなパンチの効いた?(笑)曲をつくるんです。


ボカロとVTuberは、音楽的葛藤と実在性という二軸で共通している

Gohgo そうした反集団的なところって、自分はそのボカロや初音ミクの世界にも通じるところがあるなと思っています。実はボカロって、音楽的葛藤という点と、実在性という二軸でVTuberと共通している。

自分自身、元々「ニコニコ動画」がβで立ち上がるところからユーザーとして楽しんできました。そしてボカロ曲の投稿が始まるあたりは某レコード会社にいて、商業音楽に飽き飽きしていた時期だったんです。そこに純文学的な音楽カルチャーとしてボカロが出てきて、のめり込んでいったのが最初です。

さっきも言っていたVTuberにとっての反集団的な音楽って、ネットのDTMにおいては初音ミクだったんじゃないかと思っていて。当初、ミク自身をキャラクター的に歌った曲もありましたが、一方で、自分の鬱々としていた葛藤とかを吐き出すためのボーカルソフトであったりとか、バンドは組めないけどDTMで自分でやりたいことができる、社会においては若干、弱い立場なんだけど、表現したい熱い想いを抱えていた人たちが、当時ボカロ曲をつくっていたと認識しています。

 
──音楽をはじめとするコンテンツって、何か弱い立場にある人に寄り添う存在でもありますからね。そこで心を動かされた人が、クリエイターになって次世代のコンテンツに繋いでいくという。当時、音楽業界もCDが全然売れなくてデビューしたくてもできなかった才能が多くいた。たまたま、音楽を投稿すればコメントをもらえるという「ニコニコ動画」があって、好きに歌わせられる初音ミクが出てきたという偶然があったから、初音ミクのムーブメントが後押しされた。

Gohgo VTuberにおいても、反集団、反社会、自分の孤独との闘いみたいなのは維持されるべきだなと思っていて、だからHIMEHINAの楽曲でもそういう曲をたまにつくっているんです。自分の中でのそういう鬱屈とした想いの発露みたいな表現手法の源流はボカロにあるかもしれないです。あとは初音ミクから継投させるコンテクストといえば、おそらく非実在のビジュアル化のところですよね。

 
──話を割ってしまって申し訳ないですが、ビジュアル化に関して持論があって、初音ミクはVTuberと違って「魂」がないので透明スクリーンで空間にいるように見せないと存在に納得してもらえない。一方で、VTuberはその先に「魂」があることを期待して見るのでLEDでも全然よくて、むしろリアルタイム性、生で歌ったり踊ったり、マイクなしの声で呼びかけてくれることを期待しているみたいな違いがあると思うんです。

Gohgo まさに同じ気持ちで、これ一晩話せるぐらいの内容だと思うんですけど(笑)。自分が一番最初に見た初音ミクのライブは、2009年の今はなきSTUDIO COASTの「ミクFES’09(夏)」でした。あれって限りなく初めてに近いバーチャルキャラクターのライブだったじゃないですか。

 
──自分も現地にいました。直前のアニサマ(Animelo Summer Live 2009)にもちょっと出てましたが、透明ボードでの出演は初ですね。

Gohgo 自分はそこからバーチャルライブ歴をスタートして、その後のZeppにも行ったし、2011年にロサンゼルスでやった「MIKUNOPOLIS」にも参加しました。

 
──懐かしい。自分もロスで取材しました。

Gohgo 透明スクリーンから始まって、最近ではLEDに変わっていってますが、その過程では試行錯誤がたくさんありましたよね。例えば、一度箱型のスクリーンに映す方式もありましたけど、額縁感が強かったのでファンに受け入れられなかった。あとはキャラクターの前にダンサーがくるのも違和感が強くなりがちで、人間のほうが質量を持っている分、主役よりも目を奪ってしまいがちだった。

そんな風にボーカロイドのライブにおける実在性と非実在の追求は、自分も初期からずっと考えてきていて、どのように表現したらいいかというテクニカルな部分とセットで、VTuberにおいてはまさに先ほど話にあがった「魂」の有無が大きな差ですよね。初音ミクは「魂」がないからこそ、作曲側が「魂」を主張したいというのを受け入れる余地があった。「初音ミクの消失」なんかは完全にそうですし、「ODDS&ENDS」も「Tell Your World」も多分そうで、非実在だからこそ実在させたいという思いがあの舞台上にあった気がします。

自分がボカロライブを手掛けていた時代から、実在性についてはある程度気にしていて、例えば今のHIMEHINAでも必ず気にしているのが「出ハケ」(ステージの入退場)です。パーティクルに巻かれて魔法のように出たり消えたりする……というのは避けていて、必ずステージの上下左右にはけるとか、奈落から迫り上がるとかの出ハケのステージングにしています。映像装置が舞台の彼女らにとって、ヒトとして立ち振る舞う事の質量感と、ヒトには出来ない演出的外連味をバランスよくつくるようにしています。

 
──表現の派閥の問題かもしれませんが、それはそれで貫いたほうがいいかなと思います。

Gohgo 非実在なんだけど、きちんと実在っぽい要素を入れるというのは、すなわちHIMEHINAの存在を尊重して守ってあげることだと思っていまして。ほかにも今回のライブで衣装の表面がバラバラっとデジタル化してチェンジするシーンがありますが、これはエレクトロクロミックという電圧で色が変わる素材であると定義してから演出に臨んでいます。

 
──全然気づかなかったです。そんな裏があるんですね。

Gohgo あるいは、HIMEHINAのライブで巨大化する演出がよくありますが、あれもVTuberならではの演出といえるのでしょうけど、突然大きくなれるのって、じゃあどういう存在なのかっていう。等身大な人間と、夢のような存在であるバーチャルとの間で、きっと何をしてもいいわけではなくて、人間的物理世界の中で、理解をつなぐものが何か必要になる。

【期間限定】HIMEHINA『心を叫べ/ヒトガタ』【Live2019 1st One-Man 心を叫べ】
2026年10月4日開催 HIMEHINA WORLD Tour 2026「LIFETIME is BUBBLIN」 -GRAND FINALE- Day2

自分は昔からMMDが文化として好きで、クリエイターの自由にキャラクターを人形として扱えるのがいいところだと思っているのですが、一方でそれをVTuberでやっちゃうと単なるあやつり人形になっちゃうと思っていて。だからなぜ巨大化しているのかっていう体裁が必要になるわけで、1stライブのときの巨大化は広角カメラを足元に置いて映しているんです。

 
──確かに、歪み方が広角レンズのそれでした!

Gohgo 「これって実際はどうやって映ってるの?」というクリエイターサイドの話で、「別にバーチャルとか実際とかよくない?」みたいなことをよく言われるのですが、実際に起きうる形をシミュレーションしてからじゃないと、自分たちがHIMEHINAを自由に使いたいだけのあやつり人形として扱うことになってしまう。それは絶対にやめようというのが演出としての決まり事になっています。演出家は、あくまで本人にお化粧してより魅力的に引き立たせるのが本分なので、彼女らの魂や人権や自尊心を尊重するという意味での線引きはデリケートに考えています。

ボカロライブのときも永遠の課題といってもいいくらい、実在と非実在については頭を悩ませていましたが、VTuberになってより一層重視しなければいけないなって思ったんです。それはやっぱり「魂」があるから。継投されるバーチャルの存在のコンテクストにおいて、そこはとても大きな違いだと思います。


(TEXT by Minoru Hirota)

*後編に続く


●関連リンク
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