バーチャルアーティストユニット・HIMEHINAが、2025年11月22日(土)・23日(日)の2日間にわたってパシフィコ横浜 国立大ホールで、HIMEHINA LIVE 2025『LIFETIME is BUBBLIN』を開催する。
ヒットシングル「愛包ダンスホール」を筆頭に、「LADY CRAZY」「キスキツネ」といった楽曲を収録した4thアルバム「Bubblin」を7月2日にリリースした勢いのまま、2人は過去最大級となるライブを開催することになる。
今回はそのライブの中核ともいえるアルバム「Bubblin」についてレビューしていこうと思う。
HIMEHINA 快進撃をすこし紐解く そこに見える違いと傾向
以前に連載「Pop Up Virtual Music」のなかで「愛包ダンスホール」を取り上げたり、2025年3月1日と2日に開催された7周年記念ライブ「田中音楽堂 RealLive ~姫雛合唱宴~」と「ザ・ベストニジュー」でライブレポートで執筆させてもらったが、2024年から25年にかけてのHIMEHINAはまさに”勢いにノッていた”。
TikTokやInstagramでの「愛包ダンスホール」が大ヒットしたこともあり、新規ファンが一気に生まれ、以前までに食わべてワンステージ上の大会場でのライブが可能となった。その影響が顕著に目に見えるのが、本作に収録されているオリジナル楽曲の再生数だ。
「愛包ダンスホール」を筆頭に、「LADY CRAZY」「キスキツネ」「涙の薫りがする」「V」「バブリン」といった楽曲がMVと共にリリースされているが、どの楽曲も100万再生以上を記録し、「LADY CRAZY」「キスキツネ」「V」といったダンスチューンに至っては約700万再生前後を記録しているのがわかる。
付け加えると、その間には歌ってみた動画・カバー歌唱動画もいくつか投稿されているが、そのどれもがHIMEHINA自身のオリジナル楽曲の再生数には遠く及んでいないことも注目していいだろう。こういったネットカルチャーに近いバーチャルシンガーのなかには、オリジナル楽曲のMVよりもカバー歌唱した動画のほうが再生数・動画数が多いという傾向になりがちだが、HIMEHINAはそういった傾向は示していないのだ。
ネットカルチャーに出自をもちながら、ネットカルチャーらしいファン需要とは無縁の嗜好性を持ったファンがHIMEHINAの下に集まっているようにみえる。
なにより「ヒトガタ」「ヒバリ」「Mr.VIRTUALIZER」といった活動初期の楽曲再生数を、この1年ほどでリリースした先述の曲たちが追い抜いてしまっているという事実。彼女らのファン層の変化を如実に示している。
要は、HIMEHINAの歌唱・音楽とは、あくまでオリジナル楽曲にこそ宿っているのだと強くファンが感じており、しかもそれは近年において特に強くみられる。ホロライブやにじさんじといったタレント勢には殆ど見られていない特徴的な傾向は、HIMEHINAのオリジナリティへの厚い信頼のように筆者には読める。
アルバム「Bubblin」が発するのは一体なんなのか?
さて、HIMEHINAのアルバム「Bubblin」楽曲や特徴を振り返ってみよう。
以前ライブレポの中でも記したが、 おおよそ2つのタイプの楽曲が、HIMEHINAのメインコアとして駆動してきた。
1つ目は、EDM・エレクトロといったダンスミュージックをバックボーンにしたダンス・ポップ。「キスキツネ」「LADY CRAZY」「愛包ダンスホール」といった楽曲で、シンセサイザー・ベースサウンド・様々なキックサウンドを活かし、ハイトーンなダブルボーカルがエネルギー全開で刺さっていく。パッと聞いた瞬間にポップでわかりやすく、ここ2年の間で彼女らを知ったであろう多くの新規ファンは、こういった楽曲で愛らしくダンスする2人に心打たれただろうと勝手ながら想像している。
2つ目は、日本古来の文化・言葉・イメージを引用しながら生み出された楽曲で、切なさや儚さをメッセージに込めた楽曲が多くリリースされてきた。今作で言えば「涙の薫りがする」「風編み鳥」といった楽曲がそれに当たる。デビュー時からいくつかの楽曲でこのテーマを連想させられる楽曲がリリースされており、ある意味ではHIMAHINAの表現・統一感を担保する楽曲群といえるだろう。
読んでもらったらお察しの通り、前者はサウンドメイク、後者はイメージやメッセージにまつわるものであり、2つの要素が掛け合わさったハイブリッドな楽曲がこのアルバムには収録されている。人を化かすしてイタズラを加える妖怪として代表的なキツネをモチーフにしつつ、ドラムトラックとベースの細やかな刻みで聴くもの掴む。人を驚かせて躍らせる「キスキツネ」である。
人に化けて人を誑かすキツネを憑依させたHIMEHINAの2人が、音楽の魔力をうまく使って我々を籠絡しようとしてくる。パッと見た瞬間のキャッチーな見た目、シンセ&ベースを活かしたダンサブルなサウンド、ポップなルックスや演出の裏にある日本文化らしさ、「HIMEHINAの要素を1つに合わせてみた」といっても過不足ない、HIMEHINAらしさ全開の楽曲だと筆者は評価したい。
ほとんどの楽曲でGohgoが作詞を務め、「絶望を翔る恒星」では鈴木ヒナが、「密命」では田中ヒメが作詞を担っており、闘争や倫理観をそれぞれに書いた作詞となっている。先述したような作風とはまた別種の表現であるが、統一感を失うことなくある種のしたたかさやポジティビティ、攻撃性を発している2曲だ。
ありもしない現実を追いかけ
(絶望を翔る恒星)
誰も知らない運命に向かう
傷だらけで震える体抱え
嵐を喰らい 明日へ飛んでいけ
僕達で守るんだ
(密命)
消えてしまいそうな灯火の
ただ生まれ落ちた意味を
それでも 僕たちで作るんだ
この非望の慣れ果てを見たいから
アルバムタイトルが「Bubblin」でライブタイトルが「LIFETIME is BUBBLIN」ということ、さらに日本文化を引用するような歌詞が多いというところも含めると、泡や泡沫というイメージをここでは表現していることがわかるだろう。
くわえてHIMEHINAは過去に「うたかたよいかないで」という楽曲をリリースしており、昔から追いかけているファンには自然と受け取れるフィーリングではないかと思う。
はじける泡の水のように
うたかたよいかないで
生まれては消えていく奇跡を
ただ見つめていた
さよなら 呟いた
泡沫という言葉がイメージさせる儚さ・無常感・脆さ・不確かさといったところが、当然今作のコアとして目線に入ってくる。いくつかのインタビューを読めば、ヒメ・ヒナの2人ともそういった一面を意識していたことを明かしている。
だがしかし、そういった言葉のイメージに引っ張られてセンチメンタルさや繊細さのみにフォーカスが置かれたアルバムのかといえば、それは全く違う。むしろ筆者は、底に潜むフィーリングのほうにグッと心動かされてしまう。
仄かで朧げな、些細な揺れ動きによって一瞬のうちに消え去ってしまうという短命さを丁寧に表現しようとすることで、「より確かに、長く、生きながらえたい」という願望が溢れ出していく。彼女ら2人の明るい歌声とポップさは、むしろそちらのポジティビティあるイメージを自然と捉え、知らぬ間にリスナーへと伝播していく。
つまり「◯△□である、なのだけども・・・!」と続くはずのメッセージに、心と耳が動いてしまう。そこで綴られる言葉と声は決して後ろ向きではなく、美しい未来があるはずだというささやかな願い。リスナーやファンの多くが心動かされるのは、そういった微量ながらも胎動する祈りが鼓膜を通じてを掴んでしまうからだ。
本作ラストを飾る楽曲は「生と詩」という曲だ。あえて指摘するが、詩は死と韻を踏むようにして使われている。フィナーレを告げるようなスケール感のあるスローテンポな楽曲となっており、本作で描かれていた泡沫の切なさを、ある種の死生観のように歌っている。
Lifetime is Bubbling. 弾けぬ様ように
生と詩
小さな命を膨らませて
White Dwarf みたいに弾る夜に
死の代わりに 詩を残こせるように
かつて村上春樹は名著「ノルウェイの森」のなかで、「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」という一文を記していた。生と死がなめらかに共存しながら時間とともに在りつづけているという状況を奇跡のように讃え、過ぎ去り摩耗していくことを慈しみのような心で受け止めようとする。
悲しみをどこか向こうへと追いやるのではなく、どこかで必ず出会い追いついてしまうものと捉える。 本作は、そんなフィーリングととても良く似ているように感じられる。 そして、そういった響きとイメージを携えたHIMEHINAの音楽は、ありふれたポップ・ミュージックの言葉ではたどり着けないような深みを伴っている。
過去に提示していたテーマをふたたび大きなお題目としてバチっと示した今作は、新規ファンに向けたメッセージでありつつ、古くから応援するファンには変わらなさをアピールする。 アルバム「Bubblin」 は数年に及んだ大きなヒットを取りまとめつつ、新章スタートを告げるような快作になったといえよう。
(TEXT by 草野虹)
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