復刊がほのめかされるとすぐにニュースとなり話題になった「スノウ・クラッシュ」は、「メタバース」の語源となったSF小説だ。いまやバズワードと化した感のある「メタバース」だが、その発想は30年前の作品ですでに生まれていた。復刊の仕掛け人となった早川書房の担当編集者・一ノ瀬氏に、いかにしてこのタイミングで復刊に至ったのかや、本作を楽しむポイントなどを聞いた。
30年前に描かれた未来としてのスノウ・クラッシュ
──長らく絶版となり価格が高騰している「スノウ・クラッシュ」でしたが、復刊が決定しました。VRファンの方がたにとってどのような見どころがあるのでしょうか。
一ノ瀬 まずひとつは「メタヴァース」(以下、本稿ではメタバースで統一)という言葉を作り、約30年前にインターネットとVRの未来を描いた作品というのが驚異的だと言えます。
それから「アヴァター」(以下、アバター)という言葉が初めて登場した小説でもあるというところも面白い点です。主人公のヒロ・プロタゴニストは本人とよく似たアバターを使っている一方で、ドラゴンやゴリラのアバターを使っている人もいる。先日、FacebookがMetaと社名変更した発表でも、CEOのマーク・ザッカーバーグは本人とよく似たアバターでしたが、会議のシーンではロボットのアバターの人も映っていました。
また、公衆電話から メタバース に入るとモノクロのアバターになってしまったり、自分の身長以上のアバターを着用できないという制限などは、メタバースを設計する上でのヒントになるかもしれません。そうしたメタバースやアバターの未来を予見しているところが面白い点だと思います。
それから、「思想としてのメタバース」という観点でいうと、作品の中の米国の国力が落ちていてフランチャイズ国家として分割されている中で、主人公のヒロは現実世界ではピザの配達をしながら狭い部屋に住んでいますが、メタバースの中では豪邸を持っていたり世界一の剣闘士として名をとどろかせています。メタバースに入ると現実の嫌なことを忘れられるという、ディストピア化した現実に対するユートピアとしてメタバースが描かれているところも、未来を予見しているといえます。
──現在VRで一般的に遊んでいるユーザーの中でも、美少女アバターで交流できるユートピアとしてのVRを楽しんでいる方は多いので、その世界観は近しいと感じます。それを30年前に予見しているのはすごいことですね。
一ノ瀬 現実世界の自分から解放されてもうひとつの世界で生きられる可能性が描かれているとも言えますね。30年前はまだインターネットが一般的には普及していなかったことを考えるとすごい先見性だと思います。
ビジネスパーソンに注目される書籍としてのSF
──著者はもともとSFファンやマニアだったわけではなく、コンピューター文化にどっぷりつかってきた作家であり、サイバーパンクがなければSF作家にならなかったような人物像であることが訳者のあとがきにあったのが印象的です。
一ノ瀬 著者は米国内では単にSF小説家というよりも、テクノロジーに通じた思想家としての立ち位置を確立しているんです。
──夏頃にSFプロトタイピングに関連する書籍を早川書房を含めて合計3社からほぼ同時期に出版されていますが、復刊にはその流れも関係あるのでしょうか。
一ノ瀬 7月の半ばくらいから復刊の企画は出ていました。
早川書房から出ている「SFプロトタイピング」は私が編集を担当したのですが、ダイヤモンド社から「SF思考」、筑摩書房から「未来は予測するものではなく創造するものである」の3冊がほぼ同時期に出ました。
SFプロトタイピングというのは、ざっくり言うとSFの想像力をビジネスに活用しようという考え方なんですけど、実際に著名人がSF作品に影響を受けているのがある種エビデンスとして注目されていて、「スノウ・クラッシュ」から影響を受けていると公言している著名人としてはGoogle創業者ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリン、Oculus創業者パルマー・ラッキー、PayPal創業者ピーター・ティールなどがいます。
その著名人リストを私のツイッターで紹介したところかなり話題になりまして、その中でも「スノウ・クラッシュ」を読みたいけど絶版で中古も高騰していて手に入らないという声が多かったんです。その後にFacebookのマーク・ザッカーバーグが「今後Facebookはメタバース企業になる」という発言をし、それを紹介する記事でも「スノウ・クラッシュ」が取り上げられていたので、今後もその流れは続いていくんだろうなというところで復刊を進めました。
実は数年前からSF×ビジネスの流れはあり、コアなSFファンは50〜60代の男性なんですが、たとえば中国SF「三体」は30〜40代のビジネスパーソンにも多く読まれたというのがありました。中国とビジネスをする方が話の種として興味を持たれたことがあったためです。
──「三体」のブームが「スノウ・クラッシュ」復刊の根底にあるんですね。
一ノ瀬 そうですね。復刊に合わせて書店で「世界のリーダーはSFを読んでいる」というフェアもやります。台湾のデジタル担当大臣オードリー・タンが「あなたの人生の物語」にインスパイアを受けたと発言しているといった事例がいくつかあるので、そのあたりの書籍を並べてこの流れを次につなげていきたいですね。
スノウ・クラッシュに時代が追いついた
──実際に読むと荒唐無稽でポップなエンタメ色の強さが面白かったのですが、これだけ面白いのにどうして日本では絶版になってしまったんだろうという疑問があります。なにか理由はあるのでしょうか。
一ノ瀬 読者の評価はすごく高いんですけど、必ずしも多くの人には読まれなかった。ひとつは米国と日本の違いはあるのかなと思っています。シリコンバレーの起業家たちの間で熱狂的に読まれているということのインパクトが、早川書房で発売した2001年当時は日本にダイレクトに伝わりづらかったというのがあると思います。
検索エンジンとしてのGoogleのシェア率が5パーセントくらいで検索エンジンといえばYahoo!という時代でしたし、Facebookはまだ存在もしていなかった。当時は早すぎたのかもしれませんし、そういう意味では今こそ時代が追いついたといえます。
──読む接点さえあれば、多くの人が好きになりそうだと思いました。
一ノ瀬 今回はとにかく読者層を広げて行きたいというのがあるので、装丁もかなり変えました。サイバー感もありつつ、コアなSFファン以外にも手に取ってもらえるように文学らしさを意識しました。
──SFやアニメ、漫画などのサブカルチャーが好きな人のみならず、ビジネスサイドにも広げたいということでしょうか。
一ノ瀬 従来のSFの読者の方はもちろん、最近 SF作品を読むようになったり映画に触れるようになったような若い人にも読んでもらいたいと考えています。エンタメとして楽しめる作品なので、多くの人に読んでもらえたら嬉しいなと思っております。
──同じ著者の作品で、やはり絶版になっていた「ダイヤモンド・エイジ」と「クリプトノミコン」も復刊すると聞きました。
一ノ瀬 はい。「スノウ・クラッシュ」と同時に電子版での発売となります。
特に「ダイヤモンド・エイジ」はSF界の大きな賞であるヒューゴー賞・ローカス賞を受賞しているほか、Kindleの構想に影響したとされています。その辺りも含めて著者の日本への紹介をもっとうまくできたらというのが早川書房としてもあっての、今回の復刊となっています。
メタバースの共通言語としての可能性
──VRではいろんなことができてしまうので、口で説明するとかえってわかりにくくなってしまう部分がありますが、お互いが知っている作品の例を出すと一発でイメージを共有できるので、「スノウ・クラッシュ」がそういう役割を果たせるといいですね。
一ノ瀬 著者のスティーブンスンは「良いSFがあれば、パワーポイントでのプレゼンテーションの時間を省略できる」と言っていて、いい言葉だなと思っています。
──まさに、みんなの共通言語・共通認識として広がるといいですよね。
一ノ瀬 読んだ上でそのイメージを自分なりに変えてもいいですし。ある作品がひとつ参照点としてあるとコミュニケーションが円滑になる、そういう風になるといいですね。
──最近はメタバースが儲かる系の話がたくさんありますが、実情と違う話も見かけます。
一ノ瀬 今はメタバースでこれだけ儲かるとか、メタバース投資銘柄はこれだという話もよく見聞きしますが、そこに小説があると一回落ち着いて考えられるというか。メタバースが人類とか社会にどう影響をもたらすのか考えるヒントになると思います。
──ある種「メタバース」の定義が混乱した現状のガイドのひとつになるかもしれないですね。
一ノ瀬 とにかく、楽しく読んでいただければと。作品自体は主人公の視点で進むので、ある種の追体験ともいえます。仮想空間に入った的な楽しみ方ができるというか、小説ってそもそもVRっぽい気がします。
世界があってそこに入り込むという中でメタバースについて考えていただける。というかたちで読まれると嬉しいです。
スノウ・クラッシュの詳細情報
今回話を聞いた「スノウ・クラッシュ」と同時に、同じく絶版となっているニール・スティーブンスンの小説「ダイヤモンド・エイジ」「クリプトノミコン」も復刊される(この2冊は電子版のみ)。XR業界との関わりも深いシリコンバレーのIT起業家の発想の原点にもなっていた小説の復刊は、読んでみたいと思っていた方にとって喜ばしいニュースだ。
バズワードとなった「メタバース」についてSFの観点から、30年前に作家が自由な発想で生み出した世界を体験しながら考えてみてはいかがだろうか。
- 発売日:2022年1月25日
- 価格:税込各1188円(上・下巻)
(TEXT by ササニシキ)
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