その1より続くマンガ「AIの遺電子」で知られる山田胡瓜(やまだきゅうり)先生のインタビュー。今回は、主にTwitterなどのネットサービスが人に幸せをもたらしているのかを聞いていたところ、「幸せマトリックス」という不穏(?)なワードが飛び出しました。
ネットマナーとしてみんな心に優しさを
──このインタビューはSF作品が少し先の未来を予見している側面があると思い、昨今の技術にも詳しい胡瓜先生の脳内を知りたいというのが動機のひとつだったりします。
山田 SF作家もいろいろだと思います。僕は現実のテクノロジーから発想して未来はこうなっていくんじゃないかと広げるタイプですが、「こういうSFに対して自分はこうだと思う」とSFの世界での「お約束」を拡張していくタイプもいます。だから自分の漫画を読んでくれれば、10年後ぐらいに「こういうことだったのか」と思う点もあるんじゃないかと思います。
──今らか10年前というと、日本のネットではニコニコ動画や初音ミクが大きく盛り上がっていたタイミングでした。
山田 この10年を振り返って思うのは、インターネットのコミュニティーに人々が抱いた期待や理想と、現在のインターネットとのギャップの大きさですよね。
──わかります。例えばTwitterなら、モラル低下というか、愛が足りていないというか、人はここまでむき出しの感情を他人にぶつける存在だったのかと悲しさすら感じます。
山田 最近、Twitterのリツイートを実装した人が、「あれは4歳児に弾を装填した銃を持たせるような行為だった」と後悔していた話もありました。結局、社会はみんなの欲望や自由を素朴に発露していればよくなるわけじゃなくて、公益を重視したシステムが整備されないとダメなんだと思います。
「嘘をついたらいけない」とか「悪い人は罰せられる」とかって、自然の摂理ではなく、人間が自然の中で少しずつ社会をつくってきて、それが通用する世界をつくってきたわけです。その人工的な世界の中だからこそ通用することっていうのが、いっぱいあるわけなんですけど、それは単なる自由競争とか、自然秩序の中に戻ると通用しなくなってしまう。
インターネットって未開の地で、何やってもいいってなった結果として、今まで管理されていたものが管理されなくなり、人間の素朴な感情や欲望がむき出しになったら、とんでもなく愚かな世界が広がり始めてしまったという。
──テレビの情報バラエティー番組って、ネットだと割と「マスゴミ」とバカにされがちですが、Twitterユーザーの暴走を見ていると結局、みんなが見たいものの根っこは割とそのテレビと変わってないんじゃないかなという気がします。
山田 テレビをバカにしているだけで一緒なんですよね。今、僕が面白いと思う人はネットに幻滅してネットからいなくなってしまったり、当たり障りのないことしか言わなくなっていて、ああいう場に戦略的にフィットした人たちがどんどんパワーを持っていると感じます。僕が面白いと思う人は、可視化されない世界になってしまった。
情報生態系をどうコントロールするか。プラットフォーム側がどうデザインするかという手腕を問われる状況になっていると思います。プラットフォーム側が「ここ居心地いいな」という世界を作れているのは、まだあまりないんじゃないかな。
──ネットサービスでも、人数が少ない初期は居心地よくて成り立つんですよね。
山田 勝手知ったる人たち、アーリーアダプターみたいな人たちだけが入ってくるまでの時代はいいんですよね。そんなにビジネスにもならないから、好奇心だけで入ってきてる。それが大きくなってビジネスになってくると、SEOみたいなことをし出すわけです。グーグルの検索結果が汚れてしまうのと一緒で、ビジネスになるとわかった瞬間から、本質から離れて「こうすれば最大化できる」と仕組みをハッキングして、汚れていくという。過激にすればするほど、フォロワーは増えるみたいな。
VRでいえば、VRChatも、まだ新しもの好きしかいない場として機能している側面があるのかと思っています。結局みんな新大陸を求めているというか、汚されるとまた別の場所に移動してしまう。長い目でみてネットでいいサービスができるところを一回見てみたいですけどね。日本でいうと、ニコニコ動画には頑張ってほしい。
──この先の技術の発達は幸せをもたらすのでしょうか? 仕事などでも昔は分業していたことが、技術の発達で1人に集中してかえって大変になる話もあります。エンタメやコミュニケーションも同様で、技術の進歩が幸せを呼ぶとは限らない。
山田 そもそもの話、人間の理想に人間が耐えられないという問題があると思います。例えば、単純労働や単調なことは全部機械がやってくれればいいというのは理想論としてはあるけど、それで本当に人間は楽しく有意義に行きられるのかというと疑問もあるんです。
「みんな単純労働はやめて今日から漫画家になりましょう」と言われても、そういう興味を持っていなかったり、教育を受けていない人には、やっぱり難しい。突然クリエイティブなことをやれといわれて戸惑う人はたくさんいて、それだったら工場で黙々と働いていた方が楽だったとか、お客さんと話せるショップ店員の方が楽しかったという人もいると思います。
作中には、働かないで済む特区「新世界」が登場する。周囲の誰もが遊んで暮らせる状況を見て、人は幸せを感じられるのだろうか。(7巻73話「幸福の最大化」より)©︎山田胡瓜(秋田書店)2016
──人は自分の幸せを定義できない問題とも関係してるかもしれません。
山田 そうですね。結局、幸せって相対的なものじゃないですか。これがあれば絶対に幸せみたいなのはなくて、周りと比較してだとか、その時代にありうる幸福と比較して、自分が幸せかどうかを測っている。機械を入れて便利になると、これくらいから幸福だよねという水準も上がっていくというところはあるのではないでしょうか。
収入と幸福はあるレベル以上は比例しないって話もあります。金銭的なものではなく精神的なインカムが他人と比べてどれくらいあるかの方が重要かもしれませんね。「リア充」ですよね。でも「リア充爆発しろ」といってる人たちも、バーチャルの世界で「バーチャル充」してたりすることもあるので、それはそれで「リア充」に近くないですかっていうのもあるけど。
──その人にとってどの場がリアルかという。精神的に充足できるところがあれば、リアルでもネットでもVRでもいいのかもしれない。
山田 そうそう。周囲よりも自分は充足していると感じられる場所があるかどうかじゃないですかね。それがバーチャルであろうがリアルであろうが、金銭的な話であろうが、体験であろうが、なんでもいいと思います。
究極の幸福は、もしかすると、周りの世界が全部虚構になって、それを本人が知らずに、「俺は恵まれているな」と感じてる世界かもしれません。
バーチャル世界は、度々登場するモチーフだ(無印版8巻80話「水槽の電脳」より)©︎山田胡瓜(秋田書店)2016
──映画「マトリックス」の世界ですね。
山田 僕は「幸せマトリックス」という言葉をずっと使っています。映画の「マトリックス」はディストピアみたいに描かれていますが、あれは設計がおかしいだけで、本来はユートピアになる世界なんだっていう。あれで一人一人が都合のいい世界に生きていれば、それは幸せなわけで、人間はだんだん「幸せマトリックス」に向かうんじゃないかという直感はあります。
この前、宇宙飛行士の山崎直子さんとイベントで一緒になったんですが、「将来、人間がどこに住むと思いますか?」という聴講者からの質問に、「意外とみんなバーチャルに行ってしまうんじゃないですか。その方が安全ですし。宇宙に行くのはものすごい夢がありますが、やっぱり危険」って答えていて、宇宙飛行士がそういうこという時代なのかと思いました。
ただ、「幸せマトリックス」を実現するとなると、一人一人にフィットした世界を回すためのエネルギーコストが問題になってくるかもと思うのですよ。「マトリックス」の場合、一つの世界に全員を送っているから一つの世界で運用できますが、1人に1つの世界だと結構エネルギー必要そうだなと。ただ、「幸せマトリックス」を実現できる世界なら、もうエネルギー問題も解決できているのかもしれませんけどね。もしかしたら、人間の脳みそを有効活用して、全部脳内だけでできるようになるのかもしれませんし。
──脳というと、イーロン・マスクの脳直結インターフェース「Neuralink」も、SFが現実に近づいてきた感がありました。
山田 あれ系は、倫理の問題というか、医療としては別にチップを埋め込むことは普通にありますが、それを健常者にサービスとして提供するのがいいのかどうかという議論があります。海外だとチップを埋め込む事業をやっている会社もありますけどね。スマートウォッチも、チップを埋め込む前段階ですよね。
──自分なんかは早くチップを埋め込んで、血糖値とかの健康を管理したいです。
山田 だから人間は喜んでサイボーグになるし、喜んでバーチャルに行くようになると思います。結局行き着く先は「幸せマトリックス」しかないじゃんって話になっちゃうんですけど、僕は保守的な人間なので、それをあまり認めたくない。
──ネットやVRの中だけなら、機械学習させたBotでそのうち「幸せマトリックス」を実現できそうですけどね。Twitterでめちゃくちゃいいこというユーザーだなと思ったらBotだったみたいな。
山田 そうですね。そこまでの行動ができるAIというのはそうとう賢いので、今の技術レベルではまだまだ不可能だと思いますけど、将来そういうことが可能になったら、どんな風にインターネットコミュニティが管理されるか見てみたいですね。
現状のネットの言論は、抑制された中立的なことを言う人はあまり注目されないけど、極端な意見で叩くとばーっと広がるという力学が強くて、結局、両極端な意見の人がいがみ合って綱引き状態になり、真ん中の人たちがいなくなってしまう。
──自分が利害関係者じゃないのに、「こいつは最悪だ!」と全力で棒を叩きつけるのが楽しいみたいな人も目立ちます。
山田 ど正論で他人を叩いて自分の快楽を得るというか、そういう人もいますよね。
──ネットの向こうにいるのが自分と同じ人と思ってないんじゃないかみたいな。
山田 向こう側に人がいるというのがやっぱり想像できないんですよね。でもそれはネットを使っているときに目の前にあるのは画面だから仕方がないところもあって、面と向かったら絶対言えないと思うんです。それがいい方向に働くこともあるけど、悪い方向に行って悪意が束になってかかってくる残酷さは本当にひどい。人々がネットで簡単につながりすぎるのも問題で、それはプラットフォームがなんとかすべき時期なのでは。
──VTuberの業界でも、よりセンセーショナルな情報が真偽を確かめられずに高速にTwitterを走り抜けていくことがよくあります。胡瓜先生も元IT系の記者でメディアのトレーニングを受けたと思いますが、不特定多数に対して何かを発信するときには、本来、負う義務や責任があるはずなんですが……。
山田 パブリックに発言する責任もあるし、簡単に信じずに裏を取るみたいなこともやりますよね。でも一般の人はそんな感覚はわからないから、友達とおしゃべりする感覚でつぶやくし、それが簡単に広まっていっちゃう。そうすると余計に、過激で面白い嘘の方が広がってしまう。そういうネットの世界で、普通の感覚の人がVTuberをやってしまうと、どこかのタイミングで傷ついて消えてしまうこともあるでしょうね。ネットマナーとしてみんな心に優しさを持った方がいいんじゃないかなと。
人間って、危険を察知するための本能を持っていて、対立する意見だとか、燃えてるものが何なのかが確認したい好奇心があると思います。でもインターネットはその本能を刺激するものが無限にあって、際限なく触れてしまうので、不要なイライラや変な対抗心、いらぬ義憤など、本来普通に生活していればたまにしか出会わないものがどんどん溜まってしまう。そうすると怒れるネットユーザーになってしまう。
僕のような漫画家も、自宅でパソコンに向かって作業しているだけで、人とあまり喋らないので、そうなりやすいというのをすごく感じています。自分の興味関心だけでネットをサーフィンして、「またこんな問題が起きてる」「またこんなことで争ってる」という話を見ていると、どんどん気持ちが穏やかじゃなくなって、過激化していきます。
それを客観的にみて「なんかおかしいでしょ」と感じる人もいると思うけど、気づけないとどんどん膨れていって、いつかは弾け飛んで「運営死ね!」みたいな感じになってしまう。ある意味、人間が持っている社会性が出ている証拠だと思います。インターネットが怒りや強い感情をアンプリファイアしてしまうのは感じるところです。極端な意見には、同じような属性の人間から強い賛同を得られたりするので、自己承認欲求が満たされてどんどん深みから抜け出せなくなる。その転がりは怖いです。
──技術の発達で、そうした悪意を全部Botが吸収してくれて、誰も傷つかないようになってくれるといいんですけどね。
山田 これは冗談ですが、そういう人たちに「いいね」の報酬を与えつつ、実は投稿自体は世間にばらまかれていないとかの方がいいかもしれません。つながってると思っていたけど、実は別の世界線に送られていて、リアクションあったけど実はAIがやっていたみたいな。そういうディストピアは短編のネタになりそう(笑)。
──まさに「幸せマトリックス」ですね(笑)。
(TEXT by Minoru Hirota)
*その3にはこちら
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