2024年9月14日・15日、TOKYO DOME CITY HALLにてバーチャルシンガー・理芽が「Singularity Live Vol.3」「NEUROMANCE III」と2つのライブに出演する(ニュース記事)。自身にとって初めての有観客・現地ワンマンライブということで、理芽のファンならびにKAMITSUBAKI STUDIOのファンは大いに期待しているところだろう。
そんな2つのライブについては、理芽自身もかなり楽しみにしていることを先日のインタビューで語ってくれていた。
さて、そんな彼女はどんな楽曲を歌ってきたのだろう? 今回の「Pop Up Virtual Music」では、KAMITSUBAKI STUDIO所属のシンガー・理芽の楽曲を振り返ってみようと思う。
2019年10月18日にKAMITSUBAKI STUDIOの発足とともに活動を開始した彼女は、これまで理芽名義としてオリジナルアルバムを2枚発表、カバーライブアルバムを2枚、トラックメイカー・Guianoとのコラボアルバムを1枚発表と、活動5年前にして計5枚をリリースしている。
その活動のなかで、重要と目される曲はいくつかある。いの一番に挙げられるのは、YouTube・Spotifyともに視聴回数が最も多く、自身のキャリア初期にリリースされた「食虫植物」だろう。
2020年1月にリリースされると、その直後からTikTokで大きなバズを生み、日本はおろか海外の音楽リスナーの耳にも届いた極大のヒットは、YouTubeでの視聴回数で現在約4790万回を数え、Spotifyでも1200万回をオーバー。
KAMITSUBAKI STUDIOに所属しているシンガー・トラックメイカーがリリースした楽曲でも突出した視聴回数となっているのはもちろん、リリースされて以降長きに渡って「VTuber」「バーチャルシンガー」のなかでトップでありつづけた(関連記事)。
愛と憎しみに揺れ動く心象、底なしなまでの求愛、強すぎる自己愛、そこから転じて引き起こされる自己嫌悪感と渇望。鍵盤の硬い音色から始まり、ドラムビートのすぐ後から唄い始める理芽の歌声は、力なくほのかに揺らめくようなフィーリングを聴くものに与える。
「こんな感情を抱いてはいけない」という良心や道徳を聴くもの全員に抱かせる、唯一のガイディングライト(人を導く光)として存在しているのだ。
花譜にとってのカンザキイオリのように、理芽にとっても共同制作者がいる。インタビューでも話が出た笹川真生だ。理芽との対話をキーにしながら楽曲を生み出していく笹川の手腕は卓抜としている。
例えば、理芽はファーストアルバム「NEOROMANCER」についてクールでカッコイイ路線と語っており、笹川もロックやエレキギターの鳴りをかなり生かした楽曲を生み出している。
ただ、疾走感やスピード感に訴えがちになるところを、グッとスピード感を落としてミドル〜スローテンポなリズムにし、鋭く薄く切れるようなギターサウンドでのリフが多く使われている。サウンドの動静や抑揚を効かせたシューゲイザーやオルタナティブロックからの影響が感じ取れる。
その中でも輝いているのが「NEUROMANCE」だろう。ギターアルペジオからの入り、細かなビートの刻み、ふわっと優しげな歌声で不安定な心模様や悲しき状況を歌っていく。小説のような言い回しが含まれる歌詞は想像をかきたて、曲途中で不穏に鳴らされる歪んだサブベースは、人とコミュニケーションをブチ切りして遮断するように響く。
あとがきはきっとこのまま死んだままで
永遠になっていくんだね
用法も何も知らずに
飲む 噛む 食む
まぁいっか こうして人は愛を知りえたのね
理芽と笹川真生の両名を揃えたあるインタビューの中で、笹川は「理芽のオリジナル曲は食べることや吐くことに固執している」とかたっている。生き物を調理して食する動物としての営みに感謝する気持ち、もしくは、相手とのやり取りを無意識に受け取りながらともに生きる社会について、いやそれ以上に、他者と気持ちを通わせ続けないと生きていけないような窒息感に満ちた生活。
その歌詞と行間には、いろいろなシーンやシチュエーションを読み捉えることができるが、いずれにせよ「NEUROMANCE」は、射程距離が長く範囲も広い愛の歌でありながら、不気味にひねくれたフィーリングで哀の色合いに染めあがっている。
ファーストアルバムのタイトルや理芽のソロライブタイトルなどに起用されているのも、「食虫植物」でも表現されたような、厭世的な一面にポジティブな視線をかすかに読み取らせ、理芽の歌声をガイディングライトのように灯らせるフィーリングに満ちていたからだろう。
後年「食虫植物」が小説化されるほどまでの影響を与えたところをみると、やはり心の闇・葛藤がいかに普遍的で、多くの人にとって理解や共感されやすいかがわかる。だが逆に、理芽自身は「心の闇・葛藤」を歌うというイメージから、いかに抜け出るかに苦心することになったと筆者は思える。
インタビューの中での彼女の言葉を見てみよう。
「『花譜と似ているだけなら花譜だけでいいじゃん』という手厳しいコメントもあって、『じゃああたしって何だろうな?』と考えるようになりました。そこからファーストアルバムのクール路線へと繋がったし、今の音楽に繋がっていきましたね」
この頃の花譜といえば、カンザキイオリによる作詞・作曲に導かれて、人の心の痛みを代弁するかのように歌うシンガーであった。「過去を喰らう」にはじまり、「未確認少女進行形」「不可解」「アンサー」「戸惑いテレパシー」……ほとんど全曲においてそのフォーカスからブレることなく歌っていた。「理芽とはどういった存在なのか?」 理芽は少しずつ自身の色を打ち出していくことになった。
例えば、セカンドアルバム「NEOROMANCER2」。このアルバムでは前作のようなロック色の強い内容からすこし変化し、「ピルグリム」「インナアチャイルド」「フロム天国」「ルフラン」など、鍵盤やシンセサイザーの柔らかさ・ソフトさ・優しい音色を使った楽曲がグッと増えている。
彼女も「真生くんも『素の理芽』にだんだんと合わせて楽曲を作っていったと思います」「セカンドアルバムではかわいい曲やフワフワとした曲が増えたので、あたしは『オルタナかわいい』と呼んでます」とインタビューで語っていることを思い出す。
またそういったテイストに加え、ギターカッティング・ドラムビート・ボーカル(歌詞に書かれていないハミング)も含めて、リズミカルに刻まれているパート・要素・歌唱がフィーチャーされ、クラブミュージックから援用したグルーヴや歪んだベースサウンドを生かした一面も随所に現れている。
8ビートと爆音の押し合いのなかでボーカルがほのかに揺らめくだけでなく、音の抜き差しで巧みに構築されたグルーヴィな波に、理芽がたゆたい、リズムに乗っかるように歌っているのだ。
これは、例えばアシッドジャズやブギーを参考にしたシティポップな楽曲が一定の影響力で聞かれつつあるシーンの変化に加え、理芽自身が「車の運転が好き」「アウトドアのアクティビティーが好き」というプライベートに即している部分があるのだろう。
密室的・閉鎖的なイメージがあったファーストに比べると、このセカンドアルバムはオープンマインドで、言ってしまえば外を歩きながら気軽に聞いて楽しむことを許しているかのよう。ミドルテンポという楽曲的な特徴、厭世的な一面にポジティブな視線をほのかに灯らせるフィーリングは変わらないまま、こうもガラっと届け方を変えられるものかと驚いてしまう。
こういったイメージを筆者のなかでより深く印象づけたのは、Guianoとのコラボアルバム「imagine」であった。Guianoはカンザキイオリに誘われたことをキッカケにKAMITSUBAKI STUDIO発足とともに加入、理芽とはそれまでにも楽曲を制作し、ある程度気心知れた間柄である。
セカンドアルバムからわずか2ヶ月後にリリースされたこのアルバム。その冒頭を飾るのは、ズバリ「空っぽなら、踊ろうぜ」だ。
踊ろうぜ俯く前に
馬鹿になれ今日くらいは
暗い音楽はいらねえ
空っぽだって結構 美しく空いたもんさ
見せてくれお前をもっと
お前は綺麗に舞えるから
バンドサウンドだけじゃなく、ダンスミュージックやフォークな曲までボカロPとして生み出してきたGuianoとシンガー・理芽が、EDMライクなサウンドのなかで、ガナリ気味に声を荒げながら「踊ろうぜ!」とけしかけてくる。
どんなにネガティブな気持ちを抱えていても、素晴らしいダンスミュージックにダンスフロアとミラーボールがあれば、不安な想いを忘れさせてくれる。EDM、ダブステップ、それらの影響下でクラブミュージックを模したポップスが一気に流行った2010年代、海外・日本のポップミュージックを聴いたものなら誰しもがその強烈な光に当てられた。
そういったサウンドにフォークギターの音色と刻みが混ぜりつつ、内心を打ち明けていくように理芽が歌っていくことで、曲中のブレイクや盛り上がりで「解放された」かのような快感を与えてくれる。フォーキー&ダンスミュージック、彼ら2人がたどり着いた境地だ。
この後に続く「絵画のように美しくいたかった」「言っちゃいけないことばっか浮かぶよな」などでも、不安な心を抱えながらダンスミュージックの光と洗礼を与えんとする。このアンビバレントな感触が本作のキモとなってリスナーの心を捉えるのだ。
この流れには筆者も驚かされたし、「素の理芽」らしさを感じられた。インタビューを終えたいまならより納得できるし、読み終えた読者も分かるだろう。
車を運転したりアウトドアが好きな女の子が、「死ぬ前に踊ろうぜ」「そもそも自分を愛さなくちゃ誰も愛せはしない」と僕らに歌ってくる。その声の質感は、過去2作でのほのかに揺らめくような質感ではなく、たしかな火柱・光源となって聴くものを照らし出すよう。活動を経るごとに知られるようになった「明るく天真爛漫な理芽本人」であり、やはりガイディングライト(人を導く光)じゃないか!と膝を打ったのだ。
こうして3枚のアルバムを振り返ってみた。断っておくが、理芽が「素の理芽らしさ」を100%打ち出し、表現することだけが、ポップスとして100点の答えであるわけではないのは当然だ。それ以上に、さまさまに角度を変えたり、光影のありかたによって変幻・見え方が変わる万華鏡のように、理芽の音楽もその捉え方や角度を変えていくことでより多くのひとを捉えるのだと、筆者はみている。
さて「Singularity Live Vol.3」「NEUROMANCE Ⅲ」の二夜で、そして二夜を超えた先で、彼女はどんな光を灯してくれるのだろう。
(TEXT by 草野虹)
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