
Netflixで1月22日より配信中のオリジナルアニメーション映画「超かぐや姫!」。今週2月20日からは1週間限定で映画館での公演がスタートする。
VRChatやVTuberに関心がある人なら、Xで感想をよく見かけて視聴済みという方も多いはず。そのフィーバーっぷりはすさまじく、筆者がXで見る限りトップ層のVTuberが次々と同時視聴を実施していたり、映画のチケットを買おうと思えば入手困難になっていたり、その物販もすぐに枯れているという状況だ。
筆者も勧められて1月30日に初視聴し、その後5、6回見た上で小説も読んだ。そして多くの知り合いにオススメしているのだが、「よかった」「あまり響かなかった」と人によって感想がガラッと変わるのが面白い。筆者自身はといえば、ボーカロイドの初期5年ほどを取材しており、現在進行形でXR/VTuber/メタバースが専門のメディアを運営していることもあって、特に世界観について大いに惹かれたが、初見ではあまりピンとこないこともあった。
ただ、XR/VTuber/メタバースを扱う映像作品は数あれど、ここまでリアルアイムで熱量が伝播していっているのはだいぶレアケースだ。せっかくなので映画公開前の今、未見の方にもみてもらえるように感じたことを記しておきたい。とてもいい作品だったので、感想も長くて8000字ぐらいあります。
魅力的過ぎるキャラクター、動きまくるアニメ
映画の尺は2時間22分。タイトルの通り古典「かぐや姫」をモチーフとしている作品だ。
時は2030年。主要人物は、主人公の女子高生・酒寄彩葉(さかよりいろは)、月から来た女の子・かぐや、仮想空間「ツクヨミ」の管理人&人気AIライバー(配信者)の月見(るなみ)ヤチヨという3人だ。
彩葉は父親を亡くし、兄が家を出て行き、母親と折り合いが悪く、自身も家を出て東京・立川の古いアパートで一人暮らしをし、少しの仕送りとバイトで生計を立てながら学校に通っている。母親に認めてもらうために努力して東大を目指すほどの学業優秀、オンラインの対戦ゲームも上手くて、作曲できるほど音楽の才能もあるという才色兼備な「つよつよ」キャラになる。
彼女の心の支えになっているのが、「推し」のヤチヨだ。彩葉は、タブレット端末でAITuberであるヤチヨの生配信を見たり、MRコンタクトレンズ「スマートコンタクト」(スマコン)を装着してメタバース「ツクヨミ」にログインしてヤチヨのライブに参加している。そんな「推し活」にエネルギーをもらい、睡眠時間を削って日々勉強して、バイトに勤しんで学費と生活費を捻出すという限界生活をはねのけてがんばっている。
そんな彩葉が疲れて帰宅する眼前に突如現れたのが、七色に光る「ゲーミング電柱」。中を開けると、のちに彩葉が「かぐや」と名付ける赤ん坊が現れ、流れで育てることになってしまう。赤ん坊はとても不思議な子で、たちまち大きくなって数日の間に彩葉と同じ年ぐらいまで大きくなる。
大きくなったかぐやは自己主張が強く、食べ物にも執着するというハチャメチャなキャラ。彩葉が「竹取物語」の話題を振り、かぐや姫が月に帰ることを伝えると、かぐやはそんな結末許せないと憤慨し、「自分でハッピーエンドにする! んで、彩葉もハッピーエンドまで連れてく! 一緒に!」と宣言する。
色々あってかぐやは彩葉のお金で勝手にスマコンを買い、二人で「ツクヨミ」にログイン。ヤチヨのライブを見に行くと、終わりにヤチヨが宣言して、1ヵ月の間に新規ファンを多く獲得した配信者と彼女がコラボするという「ヤチヨカップ」を開催することを知る。
そのヤチヨカップを勝ち抜くためかぐやは配信者になる。体当たりでさまざまな企画に挑んだり、色々あってトップ人気の3人組ゲーマーグループ「ブラックオニキス」とメタバース上のゲームで対戦したりして、活動を支える彩葉との仲を深めていく。
……というのが中盤までの展開になる。
初見で筆者に一番刺さったのは、アニメーションとしての魅力だ。動きの書き込み、カメラワークのダイナミックさ、顔芸の可愛さ。彩葉のジョジョ顔や「FXで有金全部溶かす人」の顔、かぐやのデフォルメされた面白くあざとい動き、ヤチヨの90年代アニメ的表情の表現など、キャラクターがめちゃくちゃ魅力的に描かれる。
ライブシーンやアクションなど、とにかく絵として作り込まれているのも魅力だ。ライブは各種SNSで動画が出ており、著名なボカロPを起用した楽曲なので、なんとなく知っているという人も多いはず。ブリブリの音圧で、レーザーが飛びまくり、光のパーティクル(粒子)が漂い、その中で歌い踊る──。VRChat界隈のクリエイターなら、大いに刺激を受けたという人もいたはずだ(筆者は2018年に行われた輝夜月のVRライブを思い出した)。アニメに連動して開催されたVRChat上での無料ライブが信じられないくらい人を集めたのも納得だ。
アクションシーンも、とにかくカットの切り替わりが早く、どのシーンも手を抜かず細かく書き込まれていて本当に素晴らしい。「League of Legends」っぽいルールの3対3の対戦ゲーム「KASSEN」や、一瞬だけ出てくるVRリズムゲーム「Beat Saber」のオマージュにニヤリとしたはず。
中盤からは、この気合い入ったライブやアクションと日常パートの緩急が小気味良くて、時間を忘れて作品に没頭してしまった。劇中の言葉で言えば、まさに「楽しキングダム」の境地に他ならない。
VRChatと地続きに感じさせるツクヨミのリアリティー
筆者的にもうひとつ「よくできてるなー」と魅了されたのは、VRChatやVTuberにおける「あるある」を詰め込んだ世界観だ。
例えば、誰もがクリエイターというツクヨミは、Unityを操作しアバターファッションで自己表現するVRChatを想起させる。水辺の綺麗なワールドでフレンドとだべっているシーンや、往来でストリートライブをやっているカットなどは、VRChatで日常的に見かける様子だ。
メタバースを題材にした映像作品といえば、過去には「マトリックス」「.hack」「サマーウォーズ」「ソードアート・オンライン」「楽園追放」「レディー・プレイヤー1」など様々存在するが、ゲーム中心だったり、未来の技術で成り立つものだったりと、物語で話を進めるための装置に感じられた。一方、ツクヨミは現行のVRChatと地続きと思えてスッと受け入れることができた。
ブラックオニキスの一人である「乃依」(のい)が、アバターの見た目は女性っぽいのに、声は男性という設定にも驚いた(小説によると「一見すると女子にしか見えないが、男性アバター」とのことだが)。
VRChatでは、元の性別に関係なく好きなアバターを選び、声も変えずにそのまま会話しているということが当たり前になっている。歴史を振り返れば2017年、VTuberの黎明期に「バーチャルのじゃロリ狐娘YouTuberおじさん」こと「ねこます」さんが登場したことが大きな影響を与えている。「かわいい狐娘の見た目なのに、声は明らかに男性」というギャップ、シュールな企画がインパクトを与えて一躍時の人となる。これで「見た目が女性でも別に男性声でいいじゃん」という認知が大きく進んで、VRChatでも同様に振る舞う人が続いて、なりたい見た目にそのままなれるという今につながっている。
・なぜオッサンはかわいいに憧れるのか 「バーチャルのじゃロリ狐娘YouTuberおじさん」独占インタビュー(前編)
・かわいいは心のATフィールドを取り払う 「バーチャルのじゃロリ狐娘YouTuberおじさん」独占インタビュー(後編)
何よりコンタクトレンズでメタバースに入れる「スマコン」がズルい。現状でも2016年の「VR元年」に比べればVRゴーグルは信じられないほど手軽になっているが、コンタクトまで小型化されてくれれば……というのは全XR関係者の夢だろう。コンタクトだけでどうやって6DoF取るんだろうとか、フルトラどうなってるんだろうとか、それで価格が12万4400円ってすご過ぎる……と、「細けぇことはどうでもいいんだよ!」というツッコミが浮かんでくるが、業界発展のために2030年の実現を切に願うところだ。
VTuberでいえば、「ヤヨヨロー」や「かぐやっほ〜!」のありがちな挨拶、配信がコミュニティーになっていて支えられている点、人気インフルエンサーとのコラボや人気ゲームを遊んで注目を集めていく過程、そして一気に人気に上り詰める配信者をみんなで応援する楽しさなど、いかにもな話が散りばめられている。スタッフの遊び心として笑ったのは、スーパーチャットを模した「かぐーやいつもありがとう」というコメントだ。
メタバースとVTuberの両者が融合しているような世界観もとてもいい。どちらも同じキャラクターの姿をリアルタイムで動かすのは共通しているが、なりたい自分になって過ごすメタバースと、タレントとしてファンを増やすVTuberでは方向性がまったく異なる。2017〜2018年頃は両者の境はそこまでなくてVTuberがVRChatに訪れることも多かったのだが、色々あって離れて、「スタンミショック」以降、ここ1、2年でVTuberがVRChatに回帰する流れが生まれている。
ネット文化に対する「わかり手」過ぎる世界観に、「どこまで調べてつくったんだろう……」と非常に気になったところだ。例えるならテレビの情報番組で自分の地元が紹介されていたら気になってみてしまい、「うぉ、めっちゃ調べてるやん!」と共感した感じだろうか。ネットで強いIPを起用する日清やマクドナルドのSNSマーケティングのような、「くやしい! でも見ちゃう! しかもよくできてる!」と作品を強力に後押ししてくれるアドになっている。
細かい話だが、音響が5.1chというのもよかった。対応する環境で聞くと、アパートで看病するようなシーンでも後ろから音が出ていたりして臨場感がとてもある。ライブはブリブリの低音で、ヘッドホンで視聴するのと体験が別モノだ。スマホを使ってNetflixで視聴済みという人でも、この点だけでも映画館で見る価値があるので、ぜひ期待してほしい。
ひたすら一途な思いを描くストーリー
ストーリーも、ものすごくシンプルでよかった。
正直に言えば、初見ではストーリーがあまりピンと来なかったのだが、期待値調整の誤りや価値観の古さをアップデートすることで、時間がかかったが「よかった」と心から納得するに至った。
というのも、どの登場人物も完璧超人すぎて、誰かに自己投影する余地がなかったからだ。物語を通じて彩葉が成長することは確かなのだが、彼女の決定的な弱さは描かれない。それどころかかぐやもヤチヨも、脇役の友達やライバルのブラックオニキスも、全員が「ハイスペ」だ。
一般的には、「完璧なんだけどここは……」みたいな弱点を用意したり、完璧なキャラの脇に弱いキャラをおいて対比させたりして、見る側に共感ポイントを作り出し、それでもみんなで支え合って困難を打破する→よかった!という構図にしがちだが、そうした手法ではなかった。
根っからの悪人がいないというのも意外だった。2時間22分の尺であれば、最初の15分ぐらいで課題が提示され、その後1時間半ぐらいは困難が続いて絶対に許せない気持ちが増幅され、最後にどんでん返しでエンディングを迎えるという流れになりがちだ。本作なら、母親との仲が悪いというネガティブが提示されるが、アニメでは小説ほど思いや関係性が描写されない。わかりやすいカタルシスがないのに、でも最後はハッピーエンドという構成がなんだか不思議だなと感じた。
あとは彩葉とかぐやの関係が過度に「百合」的に見える設定もノイズになった。これはボーイミーツガールでも成り立つのではという疑問が生まれ、必然性のなさに「売る」ためにあえてそうしているのかなぁとも感じてしまった(そして小説の方がもっと衝撃的な組み合わせが出てくる)。
なので、初見はあまりよくわからなかったのだが、筆者が見た翌日の1月31日にはEDテーマである「ray 超かぐや姫!Version」のMVがSNSで公開され、Xにおける「超かぐや姫!」熱が日々加熱していった。まるでまるで作中でかぐやが配信者として爆伸びしていったようだ。
この面白さが理解できない自分の方がおかしいのでは?とも思い直し、見直して感じたのは、これは成長譚ではなく、人の一途な思いをひたすら描いた作品、初期のVTuber界隈の言葉で言えば「てぇてぇ」系のアニメなのだと思い至った。
てぇてぇは先行してオタク用語としてあった「尊い」の崩し言葉で、同性、特に女性同士のVTuberがコラボ配信し、心が通じ合って仲良くしている様子を見て高まった様子を表すものとして使われ始めた。そして筆者にとっては、リスナーが関係性を強要しているように見えることもあって、メロスには政治がわからぬレベルでてぇてぇがわからない性格だ。
ただ、色々と周囲の「超かぐや姫!」の感想を聞くと、同性同士の方がノイズが少なくていいでしょという声もあった。人間、時代ごとに触れてきたコンテンツで価値観が形成されるわけで、日常系アニメやVTuberなどで育ってきた層にとってはむしろ心を動かされる構図なのだと気付かされた(老害だったのだ!)。
例えるなら、アクション映画に「アクションだけで深い思想がない!」と文句を言うのがアホなように、「映画」に身構えすぎて期待値調整が間違っていたのだ(同時期に『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ キルケーの魔女』を見に行ってたので落差がすごすぎた)。
「てぇてぇ」の機微を前面に出すためには、親との確執も、同性の困難を乗り越えて愛を成就させるみたいな構図も必要ない。心踊るライブや派手なアクションが次々と切り替わるのも、合わないコンテンツが流れてきたらすぐにスワイプできちゃう世代の消費行動において合理的だ。今のニーズをめちゃくちゃ汲んだ、2020年代のエンタメとして大正解だなと得心した。
そんな考えで3回目以降を見ると、細部の書き込みや動き、ライブの歌詞などの端々に伏線が置かれていて、とても満たしてくれる気持ちになる。
「好きが極まっての創造」を生んできた初音ミクという土壌
そして何度か見ているうちに、もう一段踏み込んで、ボカロ曲、というか初音ミク曲の起用が心に響くようになった。
映像作品も、音楽も、漫画や小説も、作り手が訴えたかった主題に心を動かされるだけでなく、受け手側がある部分を引き寄せ、人生に照らし合わせて自分の物語、ナラティブとして消化して感動できることがある。本作において筆者にとってそれがボカロ曲だった。
ボカロ曲の起用についても、最初は「売るため」のタイアップとしてしか思えてなかった(かぐや姫テーマなら「1/6」とか月モチーフの名曲ももっとあるやんけなどとも思った)。
しかし、なるべくネタバレしないようにふわっと語るが、作中に出てくる愛が極まりすぎたゆえ相手を創造するという行為が、まさに「好きすぎて具現化してしまう」という初音ミクとクリエイターの関係性にかぶって心に響いてしまった。
初音ミクは、今となってはスマホゲーム「プロセカ」(プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク)の一キャラクターみたいに思っている人もいるかもしれないが、初期の「ニコニコ動画」において初音ミクはUGC(ユーザー生成コンテンツ)の創作の連鎖を生み出すとてもとても大きな基点だった。
2007年8月に「初音ミク」がリリース。当初は「ロイツマ」のように既存曲を歌わせるような使い方だったところ、「恋スルVOC@LOID」や「みくみくにしてあげる♪」、「ハジメテノオト」などキャラクターとみなして彼女の気持ちをオリジナル曲として歌わせたり、逆に普通のシンガーとして彼女を起用した「celluloid」など、オリジナル曲を歌わせるようになった。
そうした曲に感化されたクリエイターが歌ってみたやイラストなどの二次創作を投稿する流れが出てきたところに、2007年12月に投稿されたのが、「超かぐや姫!」でも出てくる「メルト」だった。ニコニコ動画の人気動画ランキングが「メルト」に関連するもので埋め尽くされてしまうという事件「メルトショック」が起こる。
単なる歌唱ソフトだった彼女が、クリエイターの思いでキャラとして具現化していく。ボカロPの数だけ、クリエイターの数だけ「ミクさん」が存在するというのは、まさに「超かぐや姫!」のヤチヨが分身できる設定のようだ。
そうしてニコニコ動画には初音ミク自体に愛着を持つ人が増えていき、具現化するという流れも出てくる。物理で言えばコスプレもそうなのだが、「ニコニコ技術部」におけるみさいるさんの等身大初音ミクのように自分がつくってしまうという人も現れた。
CGでいえばMMD(MikuMikuDance)界隈で、オリジナルとは異なる「⚪︎⚪︎式」と呼ばれる3Dモデルが次々と生まれ、彼女を可愛く踊らせるためにモーションデータも制作してMVを生み出すという人々もいた(アニサマの初音ミク出演を取材をしたときに「ミクさんは天使ですから」と笑顔で語ってくれたcortさんがずっと印象に残っている。彼はのちにバーチャルYouTuberの始祖であるキズナアイの立ち上げに技術面で関わった)。
そこには好き過ぎるがゆえに「この物語は終わりじゃないんだ」と、自分の人生を賭けて「愛駆動開発」する純真さがあった。そうした10年以上前にあった「インターネット御伽話」が連想されてとても心を打ったのだ(その純真さは、今最先端のジャンルであるAITuberにも受け継がれていて、俺の好きなキャラをどうにかして具現化させたいという開発者もいる)。
もちろん今でもネットにおける二次創作は続いていて、「超かぐや姫!」でもクリエイターが心射抜かれて、VRChatでアバターやアイテム、ワールドを再現しようというムーブメントが巻き起こっている。
あとはBUMP OF CHICKEN「ray」の起用も物語に重なってくる。筆者にとっての「ray」は、それまでネットに閉じていた電子の歌姫が初めてメジャーアーティストとコラボした楽曲になる。MVで初音ミクとボーカルの藤原さんがハイタッチするシーンは、次元を超えてキャラと人が邂逅する、心を通わせることを想起させるが、それが「超かぐや姫!」のストーリーにも関係していて、MVでもオマージュされているのが激アツい。12年前にいい曲だなと思った「ray」が、今になって新しい文脈が足されてさらに輝くことがあるなんて、長生きすべきですね。
なんか考えすぎのような気もしないこともないが、ストーリーから逆算してのボカロPの起用に理由が見出せたことで、さらに作品が好きになれたわけだ。
というわけで長々と語ってきた「超かぐや姫!」だが、見る前の期待値調整さえ間違わなければ、多くの人が素直に楽しめる作品になるはずだ。ぜひNetflixや映画館で「楽しキングダム」してきてほしい。その後にrayのMVをもう一度見直して、さらに小説を読み、「歌ってみた」動画を見て歌詞を噛み締めた上で、もう一度本編を見返すと本当に暖かい気持ちになれる。
(TEXT by Minoru Hirota)



