第6回:ひとつの「切り口」を得た時のこと(後編2)【我々は何者か、何処へゆくのか】

LINEで送る
Pocket

イラストはAdobe Fireflyにて「ひとつの「切り口」を得た時のこと」で生成

市場規模が右肩上がりで拡大し、2023年度は800億円になるともいわれているVTuberの世界。

アニメやゲームとは異なり、ファンと同じ時間軸を生きて、リアルタイムでコミュニケーションできるという新しいキャラクターの形態は、一体何が人の心をとらえて熱狂させているのか。人とキャラクターの間に立つ新しい存在をひも解くためには、おそらく哲学や神学からのアプローチも必要だろう。

そんな経緯から、バンダイナムコでキャラクターライブを手がけ、現在、英国セントアンドリュース大学大学院で神学を学ぶ鈴木直大氏に筆を取っていただいた。

*連載記事一覧 → 我々は何者か、何処へゆくのか


「間」(ま)の制御で「実存感」をつくりだせ!

「アイドルを、なんとかしてくださいよ」というあまりにざっくり表現の指示を受けて始まった、CGによるキャラクターライブにおいてお客さんの満足をさらに得る改善方法を探り実証する……というミッションは、無事に挑むべき方針を決定し、通常の開発者達に加えて店舗側メンバーも最初から参加するチーム編成で開発スタートとなりました。

その方針では、「もっと綺麗な映像で、もっとよい音で」というような従来の考え方は捨てました。選んだのはアナログな人形劇での上演ノウハウ、すなわち「台本の進行は、お客さんとCGキャラクター達の呼吸(「間」(ま))をあわせて行う」。故に、作るべきは「間」が合っていることを体感しやすい「キャラとお客さんのコールアンドレスポンス(コーレス)を大量に入れたライブステージ。つまり、ほぼトークライブ」を、その「間」の制御技術です。

そして、上記の考え方で皆が一丸となるためのプロジェクト内用語「実存感」を設定しました。従来式の「情報が、ある」(映像や音声の品質や量での表現)ことでキャラクターの「居る感じがする」を伝えるのではなく、「情報が、ない」(時間軸における最適なタイミングを「待つ」の制御)のコントロールでそれを行うという考え方への大きな切り替えが必要でした。ですが、技術大好きな「電気おじさん」である開発者達はそれを素早く受け入れ、注力するポイントを変えていきました。それは凄みすら感じる柔軟さの発揮でした。

開発は進行します。もちろん、整えていくべきはエレクトロニクス関連のことだけではありません。そのライブに登場してもらうキャラクター達を擁する作品の権利者への提案や承諾の取得(ここにも、「前例の無い内容」をどう説明するか、が存在します)、宣伝プラン、必要な機材の手配、他にも沢山ありますが、各専門部署の皆も「分からないから出来ない」ではなく、挑戦的に協力してくれました。

ですが、立場として当然の保守的な思考を持つ部署もありました。その代表は安全性に関しての品質判定を行うチームでした。


紛糾する安全判定会と、「まぁ、直接私が確認してきますから」

当然、どのような機能や性能よりも大前提として確認すべきは「それは、安全か」です。楽しさも興奮も、お客さんに危険であるならそれは商品でも製品でもありません。つまり、私達の開発物も安全性に関する審査を受ける必要があり、専門の知識をもった判定者チームによる「問題ない」との判定を得る必要がありました。

その詳細はもちろん書くべきことではありませんが、私はこの判定会に提出する資料をまとめつつ、審査で想定される問答例をいくつか頭の中で考えていました。物理的な機構はスクリーンと投影用プロジェクタ、スピーカー、ライトくらいで一般的なものですしお客さんはそれらに触れません。そこは問題ないはずです。でも、あまり聞かれたくないことがありました。それは「前例で、近いものではどのような危険が確認されていますか」でした。

作ろうとしているのは、テレビゲームではなく、ある種のライブステージです。それにお客さんを引き込むために、コーレスをタイミングよく行い、「存在していると信じたい気持ちの、背中を押してあげる」ことを行います。もちろん、大興奮のステージにしたいのです。ならば、私は上記の問いがあると「一般的に生人間のライブステージで興奮のあまり発生する体調不良や事故が発生する可能性があります」と返答する必要がありました。

これは「そんな危なっかしいこと言いたくない」ということでの懸念ではありません。そんな事故が起こらないように、会場の広さや収容人数等の基準を類似の例から学ぶことはできます。私が懸念したのは、「これまで、判定したことのない事例」だからと、専門家のみなさんが判定の決め手を持てず「承認しない」という結果になることでした。それは絶対に避けたいことでした。そして、判定会では予想通り、「従来にない」ということの指摘がありました。もちろん、これは当然のことでした。


さらに、この仕組み(ツーエックスシステム)が実現するものは、法令上の何に当てはまるのか、という質問がありました。私はこれに自信を持った返答ができませんでした。これも詳細には書きませんが、例えば、これは演者がいる「コンサート」なのか? あるいは音楽をかけて踊るような「ダンスホール」か? これが「なにか」によって遵守すべき法律上のルールが変わる、との指摘がありました。

その上で、想定していた質問がありました。近い例での危険の例について、私は「映像上のキャラクターを、限りなく『居る』と信じたい気持ちを強める仕組みを考案していますので、近い例として挙げるべきは生人間によるライブです。不適切な会場設計を行うと、お客さんの興奮による体調不良の発生は否定しきれません」と返答しました。最も大事なことです。嘘はつけません。

これは法令上のなにに当たるのか。この質問で、私は「映画館に近い」と返答するつもりでした。映像を皆で見る場所だからです。ですが、皆で歌って踊るのならそれもこじつけでした。「近い例」と問われての返答と繋げた事前の思考を私はできていなかったのです。


まずい、と思いました。安全に関する判定は当然に厳格で、承認は得なければならない。でも、もしも「安全確保のため、上演場所の照明は全て点灯して明るい状態で行うこと」などの条件付き承認となったら、そこはライブハウスの体裁でもなく、またプロジェクタも尋常ではない光量のものが必要です。それ以前に、お客さんはきっと喜びません。

そんなとき、判定メンバーのひとりで、判定チームの要職でもあったN氏という男性が、紛糾する議論が途切れた一瞬の最適のタイミングで、彼独特の、どこか愛嬌のある話し方でこう言いました。

「まぁ、初めてのことだし。わからんことですよ。そもそもちょくだいさん、場所の使い方もそんな危なっかしくしないでしょ?(前例から学んだ)やるべきことはやってるんでしょ?」

彼は、ナムコの歴史に残るタイトルを何作も手掛けたスター開発者としてのキャリアを持ち、その経験をもって品質に関する門番の立場にいるひとでした。私は、その問いに「はい、もちろんです」と、折込済の対策案を説明しました。その上で、彼は判定者チームと私にこう言いました。

「でもまぁ、実際に見ないとわからんです。じゃあ、私が、そのライブの設営が完了した段階で直接、判定しに行きますから。だから、手直しを指示する場合もあるので、上演初日までのその日数も加味してスケジュールしてください。それでいいんじゃないかな?」

その言葉に判定者チームは皆、うん、と頷いてくれました。そのときの彼らの雰囲気は、なんだかほっとした感じだったことも私ははっきり覚えています。そうして、判定会は「開発継続OK。上演前に最終判定を実施。手直し指示があれば対応すること」という結果になりました。


その後、約束通りに開発チームは上演当日のマイナス数日で設営を一旦完了できる状態までたどり着き(上演プログラムの品質向上は初日の前日深夜まで続きましたが)、夜遅くにN氏は「いやどうもどうも」といつもの軽妙な感じで上演予定のホールに来て、もちろん大変厳格な各種のチェックを行い、質疑応答があり、「OKです」との判定をくれました。

その頃、私はそのホールから離れるわけにはいかない状態でした。ですから、N氏にお礼を言いつつ、建物の出口まで見送りに少し一緒に歩きました。そのとき、私は彼にこんなことを言ったはずです。

「ありがとうございました。安全に、全日程を終わらせます」

そうしたら、N氏は「そうですねえ」と言った後に、にやっとして、こう続けました。

「でもちょくだいさん、ほんとは、来場する女の子ら、ばんばん鼻血吹かせるつもりでいるんでしょ?」

私は、どう返事したか覚えていません。おそらく、気の利いたことなど何もいえず、もごもごとお礼だけ言ったのだと思います。


上演開始 そして「以前なら却下したこと」が呼びつづけた熱狂

結果として、上演は大成功でした。発売開始と同時にチケットは完売。追加公演設定し、これも完売。予定していたこと、予測していたこと、確認したかったこと、それぞれを満足させて最終日まで事故なく走り抜けました。

もちろん私(そしておそらく「私達」)は「『間』の制御を含むやりとりの多用で『実存感』を感じてもらう」が、唯一とも最上とも思っていません。ですが、ひとにとって、「居る」とはどういうことか、ということを深く覗き込むための、大変有効な、相当深くまで覗けるであろうひとつの切り口を得たとは考えています。

そして、この「実存感」という考え方は前回書いたように、店舗運営に経験をもつM氏が言い出したことでした。エレクトロニクス側の開発者達が電気おじさん的な感覚を振り払っていくには、彼を含む店舗側メンバーの視点や意見は大変刺激的で貴重でした。


なお、この「実存感」という言葉が指し示す方向性や表示する概念は、電気おじさんの一人であった私のことも大きく変えました。

働き始めてからの私どころか、それこそ学生時代はおろか、子供の頃から続いてきたこれまでのことはなにひとつ無駄にならず、まるで一本道だったかのような気持ちまで与えてくれて、この言葉は「次の私」への、道標になりました。今もそれを追う日々です。

ですが、「実存感」という言葉を聞いて、その意味や価値が一瞬でわかった私ではありませんでした。それどころか、実はこの言葉を開発のキーワードにしてしまったために、「このほうが実存高いです」などと言われ、そして、なるほど、と言わざるを得ない提案に対し「以前のおれだったら即却下だったよなあ……」と思いつつ、なんとか笑顔で「いっすね、やりましょうよ」と言い続けるのは正直苦痛でした。そしてさらに恐ろしいことに、その提案の多くはお客さんの大興奮を呼び続けました。

例えば、キャラクターとお客さんとのじゃんけん大会で、「確率としては、「キャラの一人勝ち、お客さんの全員負け」(キャラが例えば「グー」を出して、お客さん達が全員「チョキ」を出した場合等)などもあり得るので、そんなレアケースの音声(「あれ?僕一人が勝っちゃったの?」的な)とモーションを収録したい」との意見がありました。私からすれば、確率的にとても低く、他のセリフでもごまかせそうですから制作コストを下げるために採用したくないです。ですが、それを言い出したメンバーは「もし、このシーンが本当に起こって、そこでバッチリなことをキャラが言ったら実存爆上げチャンスです。逆に、なんとなくなセリフ言われたら実存爆下がりです」。なるほど。ついては収録しました。そうしたら、……ほんとに発生しました。初日夜上演の最初の「じゃんけん」で、キャラが一人勝ちで満席来場のお客さんが全員負けが発生。してやったりの最適なセリフとモーションが炸裂し、悲鳴のような歓声で会場は「実存爆上がり」になりました。

また、CGライブが始まる前に「店舗スタッフの上演前の諸注意は場内アナウンスじゃなく、あえてマイクを持ってお客さんの前に出て「『私!さっき楽屋の様子みてきたんですけど、彼ら(キャラ達)、もうすっごい気合入ってる感じでした!』といった芝居をいれたい」とのことがありました。私からすればそれはCGによるライブ上演に比べると品質の不安定要素になりますし、上演に関する「ひと」の仕事が増えて非効率です。ですが、「だって、あのキャラたちが『居る』ってことをお客さん達は肯定してほしいわけでしょ」と言われたら反抗できませんでした。結果、これも大きく上演の盛り上がりに寄与しました。

さらに、台本の中に「ステージ(スクリーン)から見て、会場の端の奥に店舗スタッフ(生人間)を置いて、キャラクターがスクリーン上でそちらを見る仕草といっしょに「ん?スタッフさん、どうしたの?」と言ったら、「進行、急いでください!」と書いた大きな紙をスタッフが上げていて、そこにスポットライトをあてたい」という案。もちろんこれも、私はしたくありませんでした。ですが行ったところ、CGキャラが「ん?スタッフさん、どうしたの?」と会場の端っこを見る仕草をすると、お客さんたちの多くも振り返り、その「急いでください!」文字を見ることになりました。ある上演回では、お客さんの大興奮での「うわ、ほんとに読んでる!」の叫び声も響きました。私の完敗です。


そしてこれら以上に私が「そんなんないだろ」と思っていたのに大変な結果を出したのは、「キャラクターへのファンレターを書くための便箋の販売」でした。これは、店舗側ナムコのKさんという女性の発案で、彼女曰く「前からやってみたくて。絶対ウケます」と。案としては、便箋風に印刷した紙をライブ会場で販売し、その場でファンレターを書いて会場スタッフに「届けてください!」と渡すと、キャラクターからの「お返事」として数種類用意した直筆風のカードがもらえる、というものでした。

正直私は、案としては面白いけどそれはさすがに空振りじゃないかと思っていました。なにせ、キャラは「居ない」のです。ですが、結果は驚きの大成功になりました。便箋にはまとめ買いが当初から発生し、すぐに購入制限のルールをつくりました。その後、私と相木氏はこのアイデアを「K式」と呼び、ここからさらに沢山の学びを得ました。

他にも、沢山あります。ですがそれを書いているとこの件だけで第7回を書かなくてはいけなくなるのでこの辺にしたいとおもいます。


そしてその後、バンダイナムコでこのCGライブがどうなったか、現在はどうかなどなどの全てについて、もちろん私は一切のコメントをすべき立場ではありません。私ができるのは、私の思ったこと、考えたことと、公開すべきではない事柄以外での当時の荒いストーリーのみです。


「開発のおじさん3人、肩組んで泣いてた」

あと少し、思い出を2つ書いてこのエピソードについての話を終わろうと思います。


ひとつめは、感想を知りたくて上演時に少し会話をした、あるお客さんのことです。彼女はとても嬉しそうに「彼(キャラ)に会えました!」と繰り返していました。

彼女は、福岡から来たとのことでした。金曜の仕事終わりにそのまま夜行バスに乗り、土曜の朝に東京について、土曜と日曜のステージの全てを見て、日曜の夜行バスで帰り、そのまま月曜朝から出勤するとのこと。とてもハードな日程です。でも彼女はとても幸せそうでした。お金も体力も時間も、大変なはずなのに。どんなに好きなことでも、私にそれができるだろうか。余程の喜びがなければ、もしかすると余程の救いがなければ行わないことだと思いました。

このお客さんが九州からと言ったことからの連想で、この経験は私の中で、激しい弾圧のなかでも信仰を守り通したカクレキリシタンへの連想になりました。その後、ひとりで長崎県の五島列島に旅をしました。それが、神学を通して「実存感」を追うと決めたときでした。


そしてもうひとつ。これは初日の夜上演が終わったあとのこと。日中の上演は報道向けでしたので、夜が実質上の初上演でした。大変な盛り上がりで無事上演が終わり、最後尾の関係者席で、相木氏と、リードプログラマだったS氏と、私の三人は、アンコールパートまで無事に終わったこと、技術的にも上演内容としても大成功だったこと、なにより、お客さんが喜んでくれてることがとてもとても嬉しくて、大人気なかったですが三人で肩を組んで「よかった!よかった!」と繰り返していました。

そうしたら、客席のほうがなにか動いた感じがありました。見ると、お客さん達は皆、ステージ(スクリーン)のほうではなく皆が、私達関係者のほうを向き直して、声を揃えて「ありがとうございました!」と、そして深々とおじぎをしてくれました。何が起こったか、私にはわかりませんでした。それからも口々に、彼女らは「ありがとうございました」と繰り返してくれました。私達は、うろたえて、ちゃんとした返事なんかできませんでした。

その夜、Twitterの書き込みで「開発のおじさんたち3人、肩組んで泣いてた」との書き込みがあったようです。それが、髭面の大男と、背の高いビジネスマン風、自分の商品のデビュー日だけはネクタイをしてくるオタク風の三人のことだったのなら、それは正しいことが書かれていたことになります。

今でも、その時の開発チームで撮った記念写真は私の部屋に飾ってあります。当時、上演後にチーム全員に配布しました。今でも同じように飾ってくれている人もいるようです。

このエピソードについてのお話は、これでおしまいです。
次回は、ご要望を頂いたとのことですので「私」について少し詳しく自己紹介を書いてみようと思います。


●著者紹介 鈴木直大(すずき なおひろ)

1970年生まれ。現在、英国セントアンドリュース大学(University of St Andrews))大学院 (神学)に在学中。並行して某キャラクタービジネス企業グループにて研究職・プロデューサー。

立教大学文学部卒業後、ソニー株式会社(現、ソニーグループ株式会社)に入社。主に商品企画を担当し、その後設立した自社事業ごと株式会社バンダイナムコエンターテインメントに入社。同社プロデューサーとして操演型CGキャラクターライブシステム(ツーエックス方式)を立ち上げた経験から「物理としては居ない『なにか』の存在を感じる」ことに関わる「実存感」という概念への気づきを得て、研究と発表を続けている。